ハマサンス コンプリートライフ

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転機・・・嫁との出会い

嫁との出会い

僕は高校卒業後リハビリの資格を取るために、他県の専門学校へ入学。専門学校近くのアパートで独り暮らしをしていた。特にリハビリという分野に興味があって入学したわけではなく、他にやりたい仕事もなかったため、地元の病院で勤めをしているおじさんに勧められての進路だった。

 

医学はとても難しく、それに加え自分の勉学へのモチベーションも上がらない。一人暮らしであるから、ギターやたばこなど余計なものは覚えていく。親には申し訳ないが、非常に自堕落な生活を送っていた。専門学校の先生方にも愛想をつかされっぱなしだったと思う。

 

当時、リハビリの専門学校といえば普通3年で卒業というカリキュラムが一般的だったが、僕の学校は4年制だった。他の大学校とのダブルスクール制度というシステムがうちの学校の特色だったのだ。

 

僕は当然リハビリの勉強にも手を焼いていたのに、大学の通信カリキュラムなど手を付ける意欲がわかなくって、途中で放棄し、やがて通信教育の方を自主退学してしまった。

また、リハビリ専門学校の試験の成績もトップクラスで悪く何度も留年した。

 

 

そんなだらしない僕だが、専門学校2年生の時に生まれて初めて“彼女”ができた。その時僕は21歳。男の仲間たちが、よく僕に対して「お前は女に騙されやすそうだから気をつけろよ」なんてことを言っていた。何となく僕もそれは了解していた。なので、女性に対して積極的に付き合おうとしていなかったのである。男友達と馬鹿な話をしながら遊んでいる方が楽しいと思っていた。

 

でも、好きな人が出来て告白し付き合うことになった。とても好きだったし、すごく幸せだった。しかし、初めての交際なので何をしていいか全くわからなかった。友達だった時と変わらないような接し方しかできずに、結局一月ほどたったころ彼女の方から「別れよう」と告げられ、フラれてしまった・・・。

 

誰かさんの名言「初恋は実らない」が僕の頭の中でぐるぐる回り続けてリフレインしていた。

 

判れた彼女の方はその後他の人と恋愛を繰り返し、僕はその情報だけを聞いて嫉妬しまくっていた。本当に1年ほど未練たらたらな状態だった。でも、彼女はどんどんきれいになっていってたから、それはそれでよかったのかとも思っていた。

 

時は流れて、相変わらず勉強に対してはだらしない僕の生活は変わらず、25歳の時にまた好きな人ができた。

サークルつながりでもある友達グループの中にいた彼女はとてもやさしくて素直でかわいかったので、僕より4つ年下ではあるけれど、僕にとっては“高根の花”だった。男子からの人気もあって僕なんかが入り込む余地はないと思っていた。

 

しかし、意を決して告白をした。しかしその時はほかに彼氏がいたらしくフラれてしまい、どん底な夜をいくつも過ごした。

 

告白しフラれて半年ほどたったとき、彼女が彼氏と別れたとの話を聞いた。フラれたとはいえサークル活動ではいつも顔を合わせてはいたし、友達としての付き合いは続いていた。僕は好きという気持ちを忘れられず、再度お付き合いの申し出をしたのだ。

そして、幸せなことに彼女の方も僕に好意を抱いてくれていたようで交際することになった。専門学校に入学して8年目の事である。

 

留年を4回繰り返し、だらだらと学生生活を送ってきた。他人さまから見れば世の中舐め切った人間に見えると思うし、事実そうだと僕も思う。だけど、8年目にして最高の彼女ができた僕は、心を入れ替えて勉強をしながらボランティアで病院の仕事を覚え、過去最高のモチベーションで国家試験の準備をする事が出来た。

8年もいて今更がんばるのかという声も聞こえてきそうだが、付き合っているこの人をがっかりさせないために、また、常にかっこつけたいからの見栄もあったけどとにかく初めて頑張る気持ちになれた。

 

そして、その後二人で無事に卒業でき資格も取れた。

 

それぞれ地元で働くことになったが、幸いお互いの家は離れてはいなかった。

3年ほどお互い働いて結婚した。

今現在結婚して10年たつが、彼女との出会いが僕を変えてくれたと思うし、彼女の存在が今でも心身ともに僕の“支え”になっている。

僕がもし勉強熱心で専門学校を留年せずに卒業していたら彼女との出会いはなかった。今になっては、彼女に出会うために8年も学校にいたんじゃないかとさえ思える。

割といろいろある僕の人生の中では間違いなくそれは“転機”と感じることのできる
一つの出来事だ。

 

これからも嫁を大切にしながら二人で支えあっていこうと思う。

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