ハマサンス コンプリートライフ

ハマサンスは遠方にいる友人のハマクラシーへ声を発信し続ける。 どうでもいいことばかり話し続ける。

お札の人物について調べてみたぞー その3(完結)

ううう、おはようハマクラシー君。

 

今日も体調が悪いぞ。

 

昔は体調が悪くても仕事にいけばスイッチが入って体が動くようになっていたもんだが、今はうつ症状も同時に襲ってくるから本当に動けなくなってしまうな。

 

さて、お札の肖像の紹介も今回が最後だ。

頑張って調べたからゆっくり楽しんでくれ。

 

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夏目漱石

明治時代の小説家・俳人・英文学者。江戸(東京)の生まれ。東京帝国大学英文科を卒業。

①    松山中学や第五高等学校(熊本)の教師をしていましたが、のちイギリスに留学して英文学を研究した。帰国後、東京帝国大学や第一高等学校で教えましたが、雑誌「ホトトギス」に「吾輩は猫である」を発表して急に有名になり作家生活に入りました。

②    のちに朝日新聞に入社して、名作を次々に発表しました。当時は自分の生活をありのままに書こうとする自然主義文学が盛んでしたが、彼は漢文や俳句の深い知識をもった英文学者として人生を一段高いところからゆとりをもって静かに眺める立場で小説を書きました。そのため余裕派などと言われます。

③    「虞美人草」あたりから自然主義派に対立する道徳観を打ち出して近代人の利己主義を鋭くえぐりだすような作品を書きましたが、晩年にはやがて広い人間愛の思想ともいえる則天去私の境地を願うようになりました。

④    彼の弟子には鈴木三重吉、寺田虎彦をはじめ多くのすぐれた学者・作家・評論家がおり、また芥川龍之介も彼に才能を認められて有名になった作家です。

⑤    作品にはほかに「坊ちゃん」「草枕」「二百十日」「三四郎」「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「心」「道草」などが有名です。最後の自伝的な小説「明暗」を描いている途中で死にました。森鴎外とともに日本近代文学を代表する大作家です。

 

 

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紫式部

平安時代中頃の女流作家・歌人。

①    父の藤原為時は学者で曽祖父の兼輔と兄の惟規は歌人という、代々文学者として名高い家に生まれました。幼時から文学が好きで、かしこく、父が「男の子でなかったのが残念だ」と嘆いたほどでした。

②    22歳ごろ結婚しましたが、すぐ夫に死に別れ、一人娘を育てながら「源氏物語」を描き始めました。

③    1005年の暮れごろから藤原道長の娘で一条天皇の中宮(妃)である彰子につかえました。一条天皇のもう一人の中宮定子には有名な清少納言がつかえていましたし、その他にも和泉式部など当時はたくさんの女性たちが宮廷でその才能を競い合っていたのです。

④    全部で54帖もある「源氏物語」は光源氏とその子の薫を主人公に当時の貴族の生活や愛情の世界をえがいたものです。清少納言の「枕草子」と並んで平安朝文学を代表するものであるだけでなく、世界最古のまた最大の長編小説でもあります。ほかに「紫式部日記」も大変有名です。

【エピソード】

紫式部が宮廷に入ったころ、清少納言は定子が死んだため宮廷を去った。二人に交流はなかったと思われるが、お互いをライバル視していたことは確かだ。紫式部の日記には清少納言の悪口も書かれている。

 

 

 

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樋口一葉

明治時代の小説家。本名は夏子。東京の生まれ。

①    はじめ中島歌子の弟子になって和歌を学びましたが、父が死んで生活が苦しくなり小説を書いて生活費を得ようと半井桃水の門に入って作家になりました。

②    25歳の若さで死ぬまでの4年間にそのころの女性の不幸な有様を美しい文章と鋭い観察で描いた名作を次々と発表し、明治の初め頃を代表する作家として名を残しました。

③    「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などの作品がとくに有名です。

 

 

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野口英世

明治・大正時代の医学者。福島県の生まれ。

①    貧しい農家に生まれ小さい時、大やけどをして動かなくなった左手が手術によって治ってから医者になることを決心しました。

②    それからは手術をしてくれた医者の家で働きながら勉強を続け、東京に出て北里柴三郎の助手になり、伝染病の研究をしました。

③    のちにアメリカにわたって細菌学の研究で有名になりました。梅毒菌の発見や小児麻痺・狂犬病などの研究で世界的な医学者となったのです。

④    黄熱病の原因を調べるためにアフリカに行きました。研究中に自分も黄熱病にかかって死にました。

【エピソード】

アメリカ留学を目指していた英世が留学費用が足りなくて困っていた時、英世の才能を認めた医者がお金を貸してくれた。しかし英世はそのお金で豪華な送別会を開き一晩で使い果たしてしまった。

 

 

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聖徳太子

飛鳥時代の推古天皇の摂政(天皇に代わって政治を行う役)

①    用明天皇の皇子で592年おばの推古天皇が位に着くと翌年、摂政となり蘇我氏ら豪族を押さえて、天皇中心の政治に改めようとし、冠位十二階を定めました。これは家柄に関係なくすぐれた人を重く用いようとした決まりです。また十二条の憲法をつくって役人の心構えを示しました。これは日本で最初の法律です。

②    小野妹子を遣隋使として送り、隋と国交を開いて大陸の進んだ文化を取り入れることに努めました。また仏教を深く信仰していた彼は、四天王寺や法隆寺を立て仏教が広まるようにしたので、この時代はこれらの寺院を中心として、仏教的な飛鳥文化が栄えました。

③    彼は学者としてもすぐれており、「三経義疏」というお経の解説書を描きました。そのほか国史の編修を命じたり暦を定めたりもしています。

 

 

以上だ。ハマクラシー君。

病気の身をおしてここまで調べるのもちょっと大変だったぞ。

 

聖徳太子はたくさんの紙幣に登場するんだな。へ~~~。

 

ちなみにこのお札チョコは全部で20種類とある。

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しかも「キラキラなレアカードが入っているかも」とか書いているじゃないか。

全然キラカードなんて当たらなかったぞ。

しかもよく数えてみると自分のは19種類しかなかった。福沢諭吉さんの旧1万円札が当たらなかったんじゃないかな~。

お札チョコですら「一万円」には縁がなかったということだよ。

あはははー。

 

まあ、勉強になったな。

たまには、こういうのも良かろう。

 

ではまたな。ハマクラシー君。

 

君も風邪には気をつけてな。

 

それではまた。