ハマサンス コンプリートライフ

ハマサンスは遠方にいる友人のハマクラシーへ声を発信し続ける。 どうでもいいことばかり話し続ける。

マサ斎藤・・・その波乱万丈なプロレス人生

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まさに虫の知らせと言うべきか、先日の7月14日僕は仕事の後輩と何気ないプロレスの話からマサ斎藤さんの話になった。「今どこで何をしているのだろう?」と・・・。後輩がインターネットで調べると現在マサ斎藤さんはパーキンソン病を患い、今なお闘病中とのことだった。

その二日後、ニュースでマサ斎藤さんが容体が急変して亡くなられたことを知った。亡くなった日は奇しくもあの何気なく後輩と話をした7月14日とのこと。信じられなかった。

 

僕は昔のプロレスに詳しいわけではない。マサ斎藤さんについては僕がプロレスを見始めていた時に新日本プロレスの解説を務めていたことぐらいしか知らない。マサ斎藤さんがどのような生き方をしてきたのか、どのようなファイトスタイルだったのかを知らないのだ。

 

そこで、マサ斎藤さんのプロレス人生を自分の持っている数少ない本を参考にまとめてみようと思った。プロレスの知識に精通している人であればはなはだ稚拙な内容かもしれないが、どうかご容赦願いたい。

では、始めるとする。

 

マサ斎藤さんのプロレス人生

昭和17年8月7日 東京都中野区出身 本名は斎藤晶典。明大レスリング部で活躍。昭和38年のアマレス、フリー&グレコ両スタイルのヘビー級全日本選手権優勝。

翌39年に待望の東京オリンピック出場を果たす。

40年4月力道山亡き日本プロレスに入門。

早くも6月3日の札幌大会でデビュー(対高崎山戦)しているが、41年3月に豊登に誘われて東京プロレスの設立に参加。

その東京プロレスは豊登と猪木の喧嘩別れで空中分解。

 

※マサ斎藤と猪木は同学年になる。マサ斎藤は日本プロレスの相撲部屋体質にどうしても馴染めず、プロレスをあきらめかけていた。日プロを除名になっていた豊登が新団体を作るというのでマサ斎藤はこれにかけてみた。猪木も豊登に誘われて日プロをやめて新団体に走った。東京プロレスの社長になるのは自分と同じ23歳の猪木だという。しかしその時そののマサ斎藤は猪木の生き方に共感を覚えた。しかし結局は猪木も帰国していない状況だったため、マサ斎藤が代表取締役に就任した。
東京プロレスは結局1年ちょっとで倒産。猪木さんは日プロに復帰し、東京プロレスの若手たちのほとんどは国際プロレスに吸収された。

 

マサ斎藤はその後半年間の“浪人生活”のあと昭和43年春に単身アメリカへ渡った。

ここから“男一匹”マサ斎藤の波瀾万丈のプロレス人生が始まる。

 

昭和42年に単身渡米。ロサンゼルスでアメリカ初マットを踏み、サンフランシスコに進出。日系の強豪、キンジ・シブヤのタッグ・パートナーに起用されて出世のきっかけをつかみ、USタッグ王座を奪取。USヘビー級王座も獲得して2冠王に輝く。

フロリダ地区に転戦してシングル・タッグ王座を総ナメにする躍進ぶり。

 

このアメリカでの活躍が認められ昭和47年3月日本プロレスに参戦。除名が解けて5年ぶりの帰国だった。

49年4月からは新日本の常連となって大暴れ。

54年4月5日東京体育館ではヒロ・マツダと組みストロング小林組を破って北米タッグ王座を奪取、そのままアメリカに持ち帰っている。

56年にはニューヨークに進出。WWF世界タッグ王座を獲得。

58年からはバーン・ガニアに誘われてAWA圏に定着。

59年4月にサーキット仲間のケン・パテラが起こした警官暴行事件に巻き込まれ、約1年間の刑務所暮らし。そこで考案したのが足殺しの複合技「監獄固め」だった。

1年5ケ月間のリハビリ生活の後、昭和61年12月に出所。翌62年に永住帰国する。満44歳になっていたマサ斎藤は新日本のリングに安住の地を求める。

 

昭和58年秋から勃興した長州・浜口・谷津らの維新軍団からジャパン・プロレスの全日本参戦まで陰の導火線の役割を果たした。

しかし、マサ斎藤がアメリカを捨てて約20年ぶりに日本に帰ってきたプロレス的な理由はあくまでもアントニオ猪木とシングルマッチで戦うためだった。

 

3,26:「INOKI闘魂LIVEパート2」大阪城ホール

4,27:“ノー・ロープ・デスマッチ”両国国技館大会

6,12:「87 IWGPチャンピオン・シリーズ 優勝決定戦」両国国技館大会

そして・・・

10,4:“巌流島の決闘”

マサ斎藤とアントニオ猪木は約半年の間に立て続けに4回もシングルマッチで戦った。
どれもこれもドラマ性と事件性にあふれたビッグイベントで海賊男が出現して試合をぶち壊したり、長州力とその仲間が乱入してきたりした。

 

特に観客無しのデスマッチ「巌流島の決闘」は2時間5分14秒もの死闘に及び多くのファンの記憶に刻まれた一戦となった。結果は斎藤がノックアウト負けという結果に終わっている。

 

平成2年 2月10日東京ドームでラリー・ズビスコを破って第40代AWA世界ヘビー級王座になった記録も大きい。

 

40代~50代にかけての10年間はあっという間に過ぎた。旧ソ連のアマチュア・レスラーたちにプロレスを教えたこともあったし、ベイダー、スコット・ノートンといった大物レスラーを何人も育てた。ホーク・ウォリアーと佐々木健介にタッグを組ませ、「ヘル・ライダース」というコラボン・ブランドをプロデュースしたこともあった。

 

平成11年2月14日、日本武道館におけるスコット・ノートンとの引退試合を最後に34年間の選手生活に別れを告げた。

 

※猪木が辞めないうちは自分もやめないでおこうと思っていたが、猪木が引退したらマサ斎藤もリングに上がる理由がなくなった。マサ斎藤とアントニオ猪木は最後の最後まで“第3者”のいるところで会話を交わさなかった。

 

色々な呼び名

若い頃は横山隆一描く漫画『フクちゃん』似であったことから「フクちゃん」。

現役時代は「ゴリラ」。引退して事務所に居座るマサ斎藤はまるでクマのぬいぐるみのようだった。

一時「獄門鬼」というニックネームがついたが、本人の希望により使われなくなった。

よく使われるのは「監獄レスラー」。

 

監獄固め

マサ斎藤の得意技。1年の刑務所生活をし、その出所後「獄中でこの技を開発した。」という発言からこの名前が付いた。寝た状態の相手の足を交差して絡めとり、腰を落として体重をかけ膝を締め付ける技。相手の膝関節にダメージを与える。

マサ斎藤以外の使い手は谷津嘉章。ジャイアント馬場は谷津の監獄固めを見て「これは一度かかったら抜け出せないだろう」と言っていた。

現在はプロレスリング・ノアのマサ・北宮が使用している。

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巌流島の決闘

「今までの俺は試合に関して、自分から条件を出したことがなかった。フロントの要求、対戦相手の要求を全て無条件にのんできた。しかし、今回だけは俺の夢とロマンを通させてもらうつもりだ。」
猪木は戦前こうコメントしている。

このテレビ局や客を排除した巌流島での対戦カードか決まると、東京スポーツもそれに呼応した。

「決戦の場の傍らには底なし沼が広がっている。」

「危険な野生動物が生息する丘もある。」

単なる嘘であるが、そのぶっ飛んだプロレスの世界から徹底して虚構性を排除してしまうと、その魅力は半減してしまうのだ。

 

決戦場もかがり火が取り囲む中、いよいよ戦いは始まった。

 

草地でスリーパーを決められた猪木の口から大量の泡を吐いた。猪木の10発以上のヘッドバットと鉄柱攻撃によってマサ斎藤は頭から下腹部までおびただしい量の血で染まっていた。島を渡る風に乗って記者席まで血の匂いが漂ってきた。またヘッドバッドの鈍い音も何度もこだました。船木誠勝が「社長!社長!」と叫ぶ中、アントニオ猪木は血塗れの顔面に草をくっつけて月光の下を這いまわった。

巌流島の決闘と銘打たれたこの戦いは、その内容もまさに戦慄と言えるものだった。

そして、2時間5分14秒この激闘は、マサ斎藤のTKO(戦意喪失)で終わるのだった。

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終わりに

こうして、マサ斎藤さんのことを調べると本当に日米ともに栄光に満ちて、また紆余曲折があったのだと考えさせられる。

よく、外国のレスラーに英語で話している姿をテレビで見たことがあったが、その姿がエリート感があって、容姿とのギャップもありとても好きだった。また、マサ斎藤さんの解説も愛嬌があり聞いていていい方は変だが和やかな気分になったものだ。マサ斎藤さんの解説に野暮なツッコミを入れない敬意を示すように実況をしている真鍋アナウンサーも大好きだった。

マサ斎藤さんが言っていたGo for broke」(当たって砕けろ)

今後の自分の人生にも渇を入れなければならない場面のときは、この言葉を思い出していこうと思う。

 

最後にマサ斎藤選手のご冥福を心からお祈りします。どうか安らかに・・・。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

これが言えたらプロレスファン?プロレス用語紹介その6

こんにつはー。

ハマサンスです。今回もプロレス用語についてちょっとずつつまみ食い程度に記載したいと思います!

 

①    テキサス・クローバー・ホールド

 

仰向けに寝ている相手の左足を右のわきの下に抱え込み、相手の右足のすね部から自分の両手を下からくぐらせ、相手左足の大腿の上で両手を固定。そのままステップオーバーして逆エビ固めを決める技です。相手の下半身全体を締め上げます。逆片エビ固めの類似技として相手の腰に大ダメージを与える技です。

テリーファンク選手のオリジナル技で、ディーン・マレンコ選手も多用していました。近年では棚橋弘至選手がこの技を使い、IWGP戦の矢野通選手相手にもこの技で勝負を決めています。

 

②    マスカラ・コントラ・マスカラ

 

覆面レスラー同士が、自らのマスクを賭けて戦う試合のことです。負けた方は試合後にマスクを外さなくてはならないためマスクマンにとっては、まさにレスラー生命を賭けた戦いとなります。

また、マスクとマスクをしていない選手が自分の髪の毛を賭けて戦う「マスカラ・コントラ・カベジュラ」という試合もあります。

ちょっと昔では矢野通選手が棚橋選手に負けたときに髪の毛をバリカンで刈られました。また、今年1018年の新日本プロレス14東京ドームでNEVER選手権で鈴木みのる選手と後藤選手との試合で敗れた鈴木選手は自ら髪をバリカンで刈っている姿が印象的でした。

 

③    マジソン・スクエア・ガーデン

 

ニューヨークにあるスポーツアリーナ。1985年、WWE年間最大の祭典「レッスルマニア」最初に行われた会場として格闘技の殿堂ともいわれています。2万人収容のスポーツアリーナと、5千人収容のシアターなどで構成されています。日本人では、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、藤波辰爾、初代タイガー・マスクなどがこのリングに上がりました。

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④    ジャパニーズオーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド

 

もともと自身の「ジャパニーズオーシャン・スープクレックス(相手の背中で交差させるクロス・アームスープレックス」を、肩車式の「クロスアーム(前で交差)・スープレックス」に改良した豊田真奈美選手のオリジナル・ホールドです。

技の一連の流れ、そして技の名前の長さも含めたインパクトともにプロレスファンの中では現在まで豊田選手の代名詞として記憶に刻まれています。

 

 

さて、どうでしたか?

今回は一つ一つの内容が薄くてすみません。

自分自身も勉強しながら載せています。

また、次回もよろしくお願いいたします!

ではでは。

これが言えたらプロレスファン?プロレス用語紹介その5

みなさん、こんにちはこんばんは

ハマサンスです。

今回は久しぶりに『これが言えたらプロレスファン!?プロレス用語紹介』の続編を書きたいと思います。前回は4までだったので今回が5回目です!

よろしくお願いいたしまする~~~。

 

ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン

 

まず、「ロス・インゴベルナブレス」とは新日本プロレスの内藤哲也選手が2015年に遠征先のメキシコで加入したCMLLのユニットチームです。ユニット名の意味はスペイン語で「日本の制御不能な奴ら」という意味になります。

内藤選手はCMLLでロス・インゴベルナブレスに加入し、帰国したあたりから不穏な言動が目立つようになります。そして、それまで新日本では正規軍に所属して内藤は正規軍を止めロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを立ち上げました。

 初期メンバーは内藤哲也、EVILBUSHIです。その後SANADA、高橋ヒロムが加入しました。また、海外からのサポートメンバーとしてルーシュが内藤と組みタッグリーグに出たこともあります。

本家となるロス・インゴベルナブレス同様、ベビーフェイスでもヒールでもないユニットですが、メンバーによる乱入介入、対戦相手につばを吐きかけるような挑発行為や毒霧攻撃、椅子を使った凶器攻撃などヒール寄りのファイトスタイルが定着してきています。

初めは「長いユニット名だな~」と思っていましたが、言えるようになると何か「通」になったような錯覚を起こしていました。今は締めにユニット名を大合唱することもあり、会場ではほぼお客さんに浸透しているユニット名になっています。

 

ジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールド

 

フォール技です。うつ伏せの相手の両脇に自分の足を差し込み、横に回転。相手があおむけになったらブリッジをしてフォールする技です。また後方から相手をロープに振り反動で後ろに下がったタイミングで仕掛けるときもあります。

ジョー・マレンコ選手は数々の技の中でもこのジャパニーズ・レッグロール・クラッチが特に芸術的でした。また、一時期棚橋選手もこの技を頻繁に使っていました。

最初に日本で公開したのは、ビル・ロビンソン選手と言われています。当時は「半回転エビ固め」と表現されて、ダブルアーム・スープレックスと並ぶフィニッシュホールドとして毎週のようにテレビで放送されていました。

この技の一番の見どころはズバリ「ブリッジ」です。藤波選手も長州力選手とのIWGP選手権試合でこの技でフォールを奪いましたが、腰の痛みのため上体が伸び切ってしまい、技としての美しさが損なわれていました。

今でこそ、この技を決め技として使っている使い手はいなくなってきましたが、やはり試合中この技が繰り出されると、打撃・投げ・関節技とは違った視覚的な美しさに見ている観客にもインパクトを与えます。

 

正直、すまんかった

ごめんなさい、おねがいします、 

「防衛したら藤田とやってやる」と豪語したものの、防衛戦で負けてしまった佐々木健介選手が藤田和之選手に言ったセリフ。

 

防衛戦でスコット・ノートン選手に敗れた佐々木選手は試合後来場していた藤田選手にリング上でこう言いました。

藤田正直、スマンカッタ、ベルト。でも、今、はもう失うものは何もないリングに上がるんだったらとことんやる」

 

これを受けた藤田選手は「49大阪ドームタイトルを賭けなければでないといいましたが・・・しょうがないのでは出ます」と返答しました。

多くの場合、プロレスラーは負けたり自分に不利な状況に置かれても"負け惜しみ"を言うものですが、この発言では素直に本音を吐露しており、佐々木選手の人柄が現れたセリフといえましょう。

このセリフにはアントニオ猪木さんが「戦う前から謝るやつがいるか」とコメントしたり、G1クライマックスの公式戦で佐々木選手が高山善廣選手に勝利した際、高山選手はバックスペースで「正直、なめててすまんかった。」と佐々木選手のセリフを逆手に取ったコメントを残しました。

 

 

 

というわけで今回はここまで!

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

これが言えたらプロレスファン?プロレス用語紹介その4

みなさま、こんにちは。こんばんは。

ハマサーンスでございまっす。

 

みなさまにいかなる評価をいただいているか、世の覚えは存じませぬが、

今回もプロレス用語を並べ立てて自己陶酔に浸るわけでございますよ。

うっひょっひょ。

 

では、始めまする~。

 

①    キャッチアズキャッチキャン

 

キャッキャキャッキャうるさいと思いでしょうか。キャッチアズキャッチキャンは、プロレスやアマレス(フリースタイル)の源流となったレスリング。日本ではビル・ロビンソンやカール・ゴッチによってその技術が伝えられました。現代のプロレスとは少し異なり、主にサブミッションを中心に試合を組み立てる形態なようです。

イングランドでこの体系は確固たる地位を築いていましたが、さらに第2次大戦中にビリー・ライレーという選手がジムを開き、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソン、ダイナマイト・キッドといった超大物を輩出しました。

現在はザック・セイバー・ジュニアというイギリスの選手が、たくみかつ鋭い切れ味のサブミッションの数々で新日本プロレスのレスラーたちを倒しています。

また、獣神サンダーライガーさんがザック・セイバー・ジュニアの試合中、解説の中で言っていたのですが、最近ではキャッチアズキャッチキャンを忠実に再現しているレスラーは本場であるイギリスでもほとんど見かけなくなったそうです。

 

②    コシティ

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選手が使うこん棒状の道具です。漫画などでもプロレスラーがトレーニングでよくこのコシティを振り回している絵が出てきます。

以前、深夜放送されていたワールドプロレスリングでカール・ゴッチさんの自宅に取材にいく企画があって(たしか、木戸修さんの引退試合前での企画)ゴッチさんのトレーニング部屋にいくつも、このコシティが並んであった記憶があります。ゴッチさんは70を過ぎてもトレーニングをされてあったそうで、亡くなった時は、「あの元気なゴッチさんが?」と思い、信じられませんでした。ゴッチさんが亡くなられて西村修さんは「プロレス界の宝が失われた」と言っていましたが、本当にその通りでファンにとっても悲しいことでした。

個人的にはモバイルサイトの「プロレス格闘技DX」で現在闘病中の高山善廣選手が日記「復活!?場外乱筆」でコシティを振り回している姿が印象的でした。ちなみに、この日記でこの道具が「コシティ」という名前だというのを知りました。

今懸命に頑張っている高山選手が少しでも回復できるように願っています。

また、高山選手の家族にも早く安心な、穏やかな時間が流れますようにお祈りしています。

 

 

③    スカイ・ハイ

 

Sky High」イギリスのポップミュージックグループ「ジグソー」が1975年にリリースした曲でメキシコのプロレスラーミル・マスカラス選手が全日本プロレスに入場するときに流したテーマ曲でした。

この曲は全英シングルチャートで9位を獲得していましたが、日本でもミル・マスカラス選手の影響でこの曲が深く浸透し、オリコンではシングルチャート最高2位を獲得するほどでした。

今でも様々なオムニバスCDに選曲されるほどの有名曲で、爽快さを感じるメロディに思わずミル・マスカラス選手がフライング・ボディ・アタックを披露している画が目に浮かんでくるようです。

プロレスに興味がない方も一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

名曲です。

 

 

今回はここまででございます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

これが言えたらプロレスファン?プロレス用語紹介その3

みなさま

こんにちは。こんばんわ。

ハマサンスです。

 

またまた、プロレス用語のご紹介コーナー第3弾でございます。どうぞこの独りよがりな記事にお付き合いください。

では、今日もおくつかご紹介します!

 

①    アイアン・フィンガー・フロム・ヘル

 

新日本プロレスのヒールレスラー飯塚高史選手が使う凶器です。専用のポシェットがあります。飯塚選手は以前はちょっと控えめな優しい人柄な印象でしたが、いまでは、その面影は全くありません。これほどのイメージチェンジを果たして、なお定着し続けているレスラーは、他にいない気がします。

 

いつか、深夜番組でケンドー・コバヤシさんが女性プロボウラーの人とボウリングへ行く企画があって、その時に女性プロボウラーが自身の手にオープンフィンガーグローブを装着しているときに、「飯塚選手みたい」と表現していたのが、おかしくて堪りませんでした。

 

あの、アイアン・フィンガー・フロム・ヘルもアルミホイルを使って手作りで何とか作れないかなあ。お子さんの夏休みの工作にどうですか?なんちて。

 

②    舌だし失神事件

 

198362日 IWGPリーグ決勝戦 アントニオ猪木VSハルク・ホーガンでの出来事。場外戦の時にホーガンの必殺技アックスボンバーを背後からくらって、そのまま前方のコーナーへ激突。リングアウトのカウントが進み、何とかエプロンまで登った猪木に対して再びホーガンのアックスボンバーがロープ越しに炸裂。場外に落とされた猪木は舌を出して失神状態になりました。ホーガンの勝利となりリング上ではホーガンが喜びを爆発させていましたが、猪木さんの方は状態が深刻だったためリング外は騒然としていました。

当時中学3年生の鈴木みのる選手は、この試合を見て悔しくて、「俺がプロレスラーになってホーガンを倒してやる」と言っていたそうな。

今も語られる、有名な『猪木、舌だし失神事件』です。猪木さん、あるいはハルク・ホーガンさんの話になると、必ず1回はこの話題が出てくるのではないでしょうか。

 

 

③    パイルドライバー

 

自分の両足で相手の首を挟み込み、マットに突き刺す技です。このパイルドライバーはたくさんの名手がいると思われますが、今現役で超必殺技の完成度を誇るのが②舌だし失神事件の項でも出ました鈴木みのる選手です。

 

鈴木選手のパイルドライバーはゴッチ式パイルドライバーと言って術者が相手の股に両腕をかけて仕掛けるのがゴッチ流とのことです。

 

鈴木選手の著書『プロレスで〈自由〉になる方法』の中に鈴木選手の「パイルドライバー」に対するコメントがありました。それによると、だいたい200キログラムまではこの技を仕掛けられるようで、実際に当時205キロの浜亮太選手に試合で使ったことがあるそうです。また、練習の時には曙選手を持ち上げれたそうです。曙選手は逆さに持ち挙げられたことなんかないから、あわてて「降ろして!」と連呼したそうです。

脱線しますが、この鈴木みのる選手、「ハマサンス」が今見ているレスラーの中でかなり好きなレスラーの一人でもあります。鈴木みのる選手の場合試合で勝とうが負けようが、その後のストーリーが気になるので、それまでの生き様がそういう見ている人にとって期待値を膨らましているのだと思います。

 

話を戻しまして、パイルドライバーという技は、いろいろな選手によって形があります。有名どころでは天山広吉選手の「TTD」、蝶野正洋選手の「ジャンピングパイルドライバー」、ジ・アンダー・テイカー選手の「ツームストーン・パイル・ドライバー」などがあります。またアンドレ・ザ・ジャイアントの「ツームストーン・パイル・ドライバー」相手を負傷させてしまうほどの禁断の技です。現在でもオカダ・カズチカ選手をはじめ、多数のレスラーが使用している技です。

それぞれの技を深く話せば長くなりますのでこの辺で締めたいと思います。

 

本日はこの辺で。最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

※『プロレスで〈自由〉になる方法』は鈴木みのる選手が気になるって方にとっては、とても楽しい本だと思います。高山善廣選手や天龍源一郎選手との対談もあり、ファンにとっては最高の内容になっています。鈴木みのる選手やプロレスが好きな方は是非読んでみてください!

 

プロレスで〈自由〉になる方法

プロレスで〈自由〉になる方法

 

 

これが言えたらプロレスファン!? プロレス用語紹介その2

 

こんにちは。こんばんわ。

ハマサンスです。

 

今回は、あのプロレス用語のご紹介コーナー第2弾でございます。興味のある方も、まあはっきり言って関心ないよという方も、いつ何時(なんどき)何が必要になるかわからないこの世の中。流しながらでもいいので一読いただければと存じます。では、始めまする。

 

 

①    ダブルアームスープレックス

 

リバースフルネルソンの状態から後ろにブリッジをして反り投げる技です。

 

元祖は人間風車ことビル・ロビンソンです。

 

ロビンソンが記者建研の席上で「この技はイギリスでギディオン・ギダというレスラーに教えてもらった」と語ったらしいのですが、ギダ選手のダブルアームスープレックスの写真もフィルムもないので、事実上ビル・ロビンソン選手が元祖ということになっています。

 

名人はロビンソンのほかには、やはりドリーファンクジュニアでしょう。この技を出されると大抵のレスラーは3カウントを聞かされることになっていました。

 

また、新日本プロレスの安田忠夫選手は突っ張り電車道でコーナーに相手を押し込んだ後にダブルアームスープレックスにつなぐのがお決まりのムーブでした。

 

昔、うる覚えですが、プロレスにそれほど詳しくない女性アナウンサーがプロレスの実況をする企画で高山廣善選手が協力して何とか実況を成功させようとするコーナーがあったのですが、女性がこの「ダブルアームスープレックス」の技の名前を覚えるのに難渋していて本番でも言えなかったという思い出があります。ファンであれば何気なく覚えているものでも一般の人にとってはやはり長ったらしい技の名前なのでしょうね。

 

②    ジュラルミンケース

ジュラルミンケース に対する画像結果

 

アルミニウム合金でできた持ち運びのできる箱。プロレスにおける凶器の一つ。以前はケンドー・カシン選手がリング下にジュラルミンケースを忍ばせておき、試合中にすきを見てリング下から取り出しては相手に叩きつけていました。

 

最近ではあまり凶器として見なくなりましたが、新日本プロレスの夏の祭典「G1クライマックス」の優勝者与えられる次年の14東京ドームでのベルト挑戦権(権利証)がジュラルミンケースに入れられて持ち運ばれています。

 

③    ラ・マヒストラル

 

別名、竜巻式横回転エビ固め。相手の技を取り高速回転でフォールを狙う技。相手の意表を突いたタイミングでバチッと決まるとフォール率が高くなります。

いちばんの使い手はやはり何といってもメキシコのネグロ・カサス選手。相手を瞬時に丸め込むさまは、まさに芸術と言える域でした。

 

④ 第64代横綱

曙選手の事です。初の外国出身の横綱です。2003年の大みそかにK-1でボブ・サップと対戦しましたが1ラウンドでKO負けを喫してしまいました。

 

総合格闘技へのチャレンジは続きましたが、その後プロレスへ再戦することが多くなり、コールを受けるときは必ず、「第64代横綱」と呼ばれるようになりました。

 

ハマサンスも地元の体育館で全日本プロレスの興業があって足を運んだ時に、曙選手の試合がありました。実際に見ると本当に曙選手は大きくて、また、その時の対戦相手も巨漢なレスラーだったので、二人のぶつかり合いなどは、ものすごい迫力でした。

 

声援もひときわ大きく、横綱はプロレスの巡業で地方へ行ってもやっぱりヒーローだなと思わされました。

 

プロレスラーとしての曙選手は2005年プロレス大賞の新人賞を取ったり、全日本プロレスでは三冠王座を獲得したり、チャンピオンカーニバルを優勝したりと好成績を残しています。

 

 

今回のプロレス用語の紹介はこれまで!

また、機会があれば(多分すぐに書きそうですが)読んでくださいね!

ありがとうございました!

ではまた。

これが言えたらプロレスファン!? プロレス用語紹介その1

こんにちは。こんばんは。

ハマサンスです。

 

今回はわたくしハマサンスが好きなもののひとつである『プロレス』。

このプロレスの用語を、ある文献をもとにいくつか紹介させていただこうと思います。

 

僕はプロレスが好きですが、にわかの部類であり、マニアックなことは知りません。しかしながら、「お、このフレーズを言えるとは、この人プロレス好きだな」だとか「よくこんな長い言葉スラスラ言えるなあ」っていう言葉が個人的にですがいくつかあります。

 

ちなみに今回お世話になった文献とは『プロレスにまつわる言葉をイラストと豆知識で元気に読み解く プロレス語辞典』の中から用語を選んで紹介したいと思います。

 

プロレス語辞典: プロレスにまつわる言葉をイラストと豆知識で元気に読み解く

プロレス語辞典: プロレスにまつわる言葉をイラストと豆知識で元気に読み解く

 

 

それでは、プロレス好きな人もそうでない方も、よろしくお願いいたします~!

 

①    STF(ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック)

 

技の名前です。数あるプロレス技の中でもかなり長い名前の部類に入るこの技。

うつ伏せの相手の片足を両足で挟んで固定して足首と膝を決め、そのまま覆いかぶさり、同時に自らの腕で相手の顔面を抱え込んでフェイスロックで締め上げる複合技です。

 

名人は「天才テレビ君」や「ガキの使い大晦日笑ってはいけない」シリーズでおなじみの蝶野正洋選手です。

蝶野選手は、ここぞというタイミングでこのSTFを決め技に使っていました。

 

ふつうにアルファベッドのまま“えすてぃーえふ”と言っても全然いいのですが、実況アナウンサーの辻仁成さんが必ずこの技が出ると「STF、ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック」と、長い名前を流ちょうに言われていたのが忘れられません。すごいプロレスが好きなんだなあという思いが伝わってくる実況でした。

というわけでSTFを略さずにスラスラ言えると、「お、こいつプロレス好きだな」と 印象付けられるかもしれませんよ。

 

②    腕ひしぎ逆十字固め

 

これも技の名前です。相手の腕を自分の両足で挟んで固定し親指を天井に向かせる形で相手の手首をつかみます。この状態から骨盤のあたりを支点にして相手の腕を反らせると肘関節が間接の可動域を超えて極まります。

 

使い手の元祖はあのアントニオ猪木さんなようです。柔道王ルスカとの一戦で盗んだ技なそうですが。猪木さんと言えば、「延髄切り」をはじめ「卍固め」「ナックルアロー」「コブラツイスト」などが頭に浮かびやすいですが、そういえば、誰かの試合で猪木さんは口から泡を吹きながら腕ひしぎ逆十字固めを極めていたような・・・。

 

この技は、ハマサンスにとってもいろいろな記憶がありますが、この技をフィニッシュホールドとしていくつも試合を制してきた高田延彦さん、そして、飛びつき式で決める田中稔さん、カウンター気味で技に入る中邑真輔さん、なんと雪崩式で極めていたケンドー・カシンさんと本当にバリエーションの開拓とともにそのたびに驚かされた感慨深い技です。

 

③    アーノルド・シュワルツェネッガー

 

シュワちゃんです。ダダンダンダダンでおなじみの『ターミネーター』、そして『プレデター』や『イレイザー』など、数々のアクション映画でかっこよく登場するハリウッド・スターです。個人的には『コナン・ザ・グレート』が好きでした。

 

さて、ではなぜシュワちゃんがプロレスと関係あるの?と思われそうですが、シュワルツェネッガーさんは2015年にWWE(アメリカに拠点を置く世界最大のプロレス団体)の著名人枠で殿堂入りしているのです!

理由としては20歳の時にボディビルで世界最年少ミスター・ユニバースになったことやWWEファンとして多くのレスラーとの親交があったことからなようです。

 

ちなみにこのWWE殿堂入りした人の中にはレスラー以外の意外な人物がおられます。元ボクサーのマイク・タイソンさんや現アメリカ大統領のドナルド・トランプさんも名を連ねます。プロレスファンの間では知っていることかもしれませんが、まあ、話のタネにどうぞ。

 

まだまだ、思い入れのある用語はあるので、分けて紹介することにします。

読んでいただきありがとうございました。

 

 

参考・引用文献

 

〇プロレスにまつわる言葉をイラストと豆知識で元気に読み解くプロレス語辞典/誠文堂新光社

〇流智美のこれでわかったプロレス技上・下/ベースボール・マガジン社