ハマサンス コンプリートライフ

ハマサンスは遠方にいる友人のハマクラシーへ声を発信し続ける。 どうでもいいことばかり話し続ける。

М-1グランプリ出場の思い出話(中編)

センターマイク に対する画像結果

 

 

 

 

 

 

М-1グランプリに初めて出場してから2カ月。

僕は学生時代の後輩たちと食事をする機会があった。

 

そして、その時にМ―1に出たことを半ば自慢げに話した。

 

その時に話の流れで、「相方である従妹が練習に全く来てくれないので、よかったら、もう本当に面白そうだなと思ったら、一緒に出てみないか」と誘ってみた。

その誘った相手は学生時代の学園祭のときに、一人で舞台に立ちオリジナルのネタで会場を爆笑させていた後輩だった。

この後輩ならば、人前に立つ度胸もあるし漫才の練習も一緒にしてくれそうだと思った。

 

 

次のМ-1はその後輩と出ることに決まった。

 

 

その年に、僕は一人目の子供が生まれた。

にもかかわらず嫁は僕のМ-1挑戦に対して協力的だった。

 

相方であるその後輩は車で1時間くらいの場所に住んでいた。

なので、仕事が530分に終わると急いで後輩の住むアパートに行き1時間ほど練習をして、そのあと1時間かけて自宅へ帰る。

9時までには家に着き、家事の手伝いや子供の面倒を見ていた。

過密スケジュールではあったが、この状況に酔いしれていて全然苦に感じたことはなかった。

 

仕事→後輩の家で練習→帰宅

こういった日々を繰り返していた。

 

 

そうして、迎えたМ-1グランプリ2009

ネタは『車の運転、右折が怖い』だ。

前回以上にぶっ飛んだ設定。なおかつシュール。

絶対に素人が手を出してはいけない領域のネタだった。

 

以前のように、参加者に交じって通路に並びながら壁に向かって練習する。

二人とも極度の緊張からか胃が痛くなり、息が臭くなる。

 

耳を澄ますと会場のアナウンスで呼ばれている出場コンビもいる。

どうやら、極度の緊張に耐え兼ねドタキャンしているようだった。

 

気持ちはわかるが、せっかくこの場にいるのである。

やるだけやってみよう。何とか己を奮い立たせた。

 

そうして、僕たちの出番が来た。

 

お客さんの反応は関係なしに、とにかく僕の方が緊張していたのだろう。

ネタの途中で、僕がセリフを間違った。

しかも「あ、間違った」とマイクを通して言い放ってしまった。

 

その後ネタが終了して舞台を後にした後、早々に二人でフロアに倒れこんだ。

「落ちた落ちた。あーはっはっは。」

 

悲壮感、疲労感、後悔、申し訳なさ、全てがあった。

 

相方は、一息ついた後、胸に張っていたエントリー番号のシールをはがして投げ捨てていた。とても悔しがっていた様子だった。

 

僕はその時相方に謝ったのか、謝らなかったのか覚えていない。

ただただ、申し訳ないのと疲れが極度に心と体に同居していた。

 

僕は相方と二人車の中で、力尽きつつも今日演じた漫才の話はせずに、相方の交際している彼女の話だとかをしながら帰路に着いた。

 

「それにしても博多は車が多いな。」

このとき何気なく漠然とそう思った。

 

ちなみに、従弟と漫才をしたときは僕は「ボケ」担当だったが、

このときは「ツッコミ」担当だった。

 

帰りの車の中で、すでに僕は「この相方とボケ・ツッコミ入れ変わったら面白いのではないだろうか」と思いながら、しかし口には出さずに帰りつくまで黙って車に揺られていた。

 

そう、僕はもうこの後輩と来年のⅯ-1へのリベンジを決意していたのだ。

 

 

・・・続く。

 

またまた、読んでくださりありがとうございました!

 

次が最後の話になります。

良かったら読んでくださいね!

ではまた~!