ハマサンス コンプリートライフ

ハマサンスは遠方にいる友人のハマクラシーへ声を発信し続ける。 どうでもいいことばかり話し続ける。

小学校の時の「痛い」おもいで

ハマサンスの人生における『これは痛かった!4大体験』をご紹介だ。

まあ、痛い思いをした体験談だから「あ、苦手」という方はご遠慮くださりませ。

4大体験は以下のようになっておりまする。

 

①    小学生の頃の忘れられないこと(有刺鉄線・ウオノメ)

②    20歳盲腸

③    24歳指の骨折

④    32歳胆泥

 

①    小学生の頃に忘れられないこと

はじめに「4大体験」と銘打っておきながらこの項では二つの体験を述べる。なので厳密にいえばトータル5つの体験を語るわけだが、大目に見てくれい。(単に「4大」という響きが好きなだけだったりして…)

 

有刺鉄線

「痛みのランキング」なんてものをつけるとすればこれは5位であろうか。

あれは、小学3年生くらいの頃だったか

オイラは母親と一緒に海にいた。親たちは何かを採集していたのか、割と僕たち子供は粗放状態だった。海岸沿いに少し小高い山に自分がいて向こうに母の姿が見えたので、ダッシュで母のところへ駆け寄ろうと全力でその子山を駆け下りた。山の傾斜が緩くなったところにいくつかの杭が打たれているには目に見えたがその杭の間をさっそうとすり抜けようとスピードを落とさずに駆け抜けた。

其の杭の間を通ったその瞬間見えない力にぐいーんっと自分の推進力が止められ後ろにはじき返された。

ずざざーと砂山に弾き飛ばされる自分。

顔が上下に張り子の虎のように揺れているのか景色が何層にも見える。

そして、自分の顔や体にぷつぷつと一定間隔に出血が出だした。

 

そう。僕は杭と杭の間に張られている有刺鉄線に気付かずに突撃してしまったのだ。

侵入禁止の有刺鉄線

昔のビデオ映像のトラッキング機能を調節している画面のように景色が何層にも映し出されてヨロヨロとしか動けない。

 

そうこうしているうちに母が駆け寄り自宅へ飛ぶように帰った。その後は自宅で応急的な処置をして別段何事もなかった。よかった。もし少しでもズレた位置でぶつかっていたら、有刺鉄線の針の部分が自分の目を直撃したかもしれない。運がよかった。

これは痛みが強かったというより、自分自身びっくりして状況が呑み込めず痛みをほとんど覚えていないという経験。(痛いは痛いのだが)

 

ウオノメ

小学生4年生の頃だと思うが、足の裏にウオノメが出来た。

僕のご用達の病院へいき、ウオノメを外科的に摘出することになった。

といってもその日すぐに切開するのではなく、ウオノメに特別なシールを貼ってふやかしてから削り取るという。

1週間ほどそのシールのような薬を貼りつづけいい感じにふやけてきた。

そしていよいよウオノメを摘出する日が来た。

麻酔なしで切開するという。
小学生の僕は「麻酔なし」の意味が分からなかった。とにかく痛い思いをするのだろうという覚悟だけはあった。

オイラはベッドの上でうつ伏せで寝かされた。

そのあと母親が僕の足を抑え込む。

医師は僕の足の裏の患部をはさみで切りだした。

想像を絶する痛みだ。しかし、親が強い力で両足を押さえているし、自分も必死に我慢した。はさみとピンセットで何とか外科手術は終わった。,もちろん普通に歩けない。しばらく学校の授業のプールは入らなくていいと言われた。自分はプールが嫌いだったのでラッキーと思った記憶がある。

しかし罰が当たったのか、再び1年後にウオノメが発生。同じ病院、同じ医師、そしてやっぱり同じ手法で取り除かれた。このときも全身に汗をたっぷりかきながら耐え忍んだ。

 

以上二つ。小学生時代に特に痛みを感じた体験だ。

 

 

 

次回、②盲腸の話を振り返ります。

最後まで読んでくださりありがとうございました!