今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
やあ、ハマクラシー君。こんばんは。
こんばんはと言うにはかなり遅い時間だが、まあ学生時代のように若返った気分で話そうじゃないか。
今日ははてなブログの「今週のお題」になっている『私のおじいちゃん・おばあちゃん』のテーマで話そうと思うのだがいいかね?
おじいちゃん・おばあちゃん
ハマクラシーくん、君は僕たちが通っていた小学校のすぐ前に僕の家があって、その道を挟んで向かい側に僕のおじいちゃん夫婦が小さな魚屋をしていたのを覚えているだろうか?
小学校の運動会の時にはちょっとしたおもちゃやお菓子を仕入れて売っていただろう?
僕たちが小学生5年生の頃にはお店を止めて新しい家を建てたんだよな。
いま、その家に僕たち一家は住んでいるんだよ。
そうだなぁ。思い出と言うか・・・
もう本当に亡くなる前の頃の思い出を話そうか。
5年くらい前におばあちゃんが寝たきり状態になってね。僕が働いている病院に入院したんだけどね。
その時に医師からリハビリの処方箋が来たんだ。僕はリハビリの仕事をしているからな。僕がおばあちゃんの担当をすることにしたよ。
といっても、寝たきりの状態だから、とくに何をするわけでもない。何ができるわけでもないんだけど・・・。
ベッドの上で一緒に座るとか、手足の関節が固くならないように動かしてあげるといった内容のリハビリをしていたんだがね・・・。
しかし、なんというか・・・
僕も当時ですでに10年以上リハビリの仕事をしてきてはいるのだけど、身内の人の体を仕事としてリハビリするっているのはなんとも不思議な感覚がしたよな。
ベッドの上のリハビリでおばあちゃんの腕を動かすときは「ああ、この手で僕にうどんを作ってくれたな~」とか、足を動かしているときは「この足で毎日畑まで歩いていたんだよな~」と、体に触れるたびに思い出が沸き起こるんだよなぁ。
その後すぐにおじいちゃんの方も大腸がんが末期でほぼ動けない状態で入院してきた。おじいちゃんの方もリハビリの処方箋が来たので、おばあちゃんの時と同じく僕が担当をすることになったよ。
不思議とじいちゃんのリハビリをしているときは特に思い出があふれ出るということは少なかったかな。
というのも、おばあちゃんと違っておじいちゃんは話ができる状態だったからな。二人で何気ない話をしながらベッドの上でリハビリをしていたな。
やがて、おばあちゃんが容体が悪化して、家族に病院へ来るように連絡がいったんだ。
その時おじいちゃんに「おばあちゃんが死にそうだよ。会いに行くか?」と聞いたら、
「いい。俺は行かん。」という返事だったな。
うまく説明はできないが、もし、仮に僕が同じ立場だったとしたら“今から旅立ってしまう伴侶”を見るのが「見るのがこわい」「見たくない」と思うかもしれないな。
そして、皆に看取られて、そのままおばあちゃんは亡くなった。
そのまま、通夜葬儀と滞りなく済んでいったのだけれど、僕は忌引きが終わって仕事に戻った時に自分の担当患者一覧の中からおばあちゃんの名前を取り除いたとき、なんとも言えない寂しい気分になって職場の隅っこで隠れるようにして泣きじゃくったな。
それから、10日ぐらいしておじいちゃんの方が容体が悪化して、そのまま亡くなったんだよ。
まるで、死んだおばあちゃんが「あんたもいつまでもみんなに厄介にならないで、早くついてきなさい!」と言っておじいちゃんを天国に引っ張っていったような気がしたなぁ。
2人がほぼ同じタイミングで亡くなったので骨壺を墓に収めるのは同時に行ったよ。
まあ、そうだな・・・。
今思い出すと、ばあちゃんの「アジのすり身の天ぷら」の味は天下一品だったからな。
本当においしかったなぁ。
また食えるんなら食べたいなぁ。
んで、それからおじいちゃんおばあちゃんの二人がいっしょに亡くなったんで、二人の家が空きっぱなしになっていたんだよ。
人が住んでいないと家はどんどん悪くなるからな。
当時隣町のアパートに住んでいた僕たちは、親たちの勧めもあっておじいちゃんたちの家に移ることにしたのだよ。
だから、今は小学校から見えるその家に住んでいるぞ。
そしてだな。おじいちゃんたちの家に住むことが決まった瞬間にとんでもない不思議なことが起きたんだが、それはまた別の機会に・・・。
まあ、今回はそんなとこだな。ハマクラシー君。
たまには、こんな話もいいだろう。
僕はちょくちょく子供たちといっしょにおじいちゃんとおばあちゃんの眠るお墓を掃除しに行っているぞ。じゃないと、家に住ませてもらってるのに申し訳ないからな。
なにか、おじいちゃんたちの家に住んでいるとその存在を意識してしまうんだよな。
ハマクラシー君も先祖を大切にした方がいいぞ。
では、またな。