こんばんは~!ハマクラシー君!
5月ですよ!5月!
巷はゴールデンウイークだが、オイラは4日の水曜日のみ休みであとは仕事だ!
まあ、別に仕事は楽しいから構わんが、子供たちと過ごす時間が少ないのは申し訳ないと思うぜ。
さて、オイラ仕事で大分の耶馬渓を車で運転することが多いのだが、そこであるものを見て車を止めた。
『後藤又兵衛の墓』とある。
オイラは戦国武将に疎いからな。
道を行く人(おじいちゃん)に尋ねたのだ。
オイラ「あのう、すみません。」
村人「なんじゃね?」
オイラ「この後藤又兵衛という人は有名な人なのですか?」
村人「ハア?お前さん、あの後藤又兵衛を知らんのか?」
オイラ「はい。」
村人「ということは、お前さん、この村の者じゃないね?」
オイラ「ハイ。」
村人「後藤又兵衛は豊臣家の家臣じゃよ。」
オイラ「おお!豊臣秀吉!」
村人「そうじゃ。さすがに太閤殿のことは知っておるようじゃな」
オイラ「はあ。それでその家臣の後藤又兵衛はここで亡くなったのですか?」
村人「知らん。これ以上、わしを惑わすつもりならば今からお前さんを屠ってくれるぞい!ハアアアあぁぁぁ~!!」
オイラ「ひいいい⁉ し、失礼しました~!」
ということがあったのだ。
その時、逃げながら写真を3枚撮ってきたぞ。
オイラはそのあと、少し後藤又兵衛について調べてみた。
正しい名前は後藤基次という。
黒田氏、豊臣氏の家臣として数々の軍功をあげた豪傑らしい。
そして大坂夏の陣で乱戦の中討ち死にしたとのことだ。
「あれ?じゃあなんで大分県中津市耶馬渓に後藤基次の墓があるのだ?」って思うだろ?そこなんだよ。ハマクラシー君~!
奈良県だって又兵衛さんゆかりの又兵衛桜っていうのがあるらしいじゃないか!
いったいこれはどういうことじゃ?
一説によると、大坂夏の陣で討たれたのは又兵衛の影武者であって、又兵衛は死んでおらずに豊臣秀頼を護衛しながら瀬戸内海を渡って九州の島津氏を頼ろうという計画があったらしいのだ。
その途中で、秀頼と別れ又兵衛は当時黒田氏が統治していた中津に身を寄せていたと、こういうわけだよ~!
そこで平穏に暮らしていたそうだが、ある日秀頼の病死を知って、豊臣家復興の夢がかなわぬこととなったと悲嘆し自刃したとのことだ。
そこで、村の者がお墓を立ててあげたそうなのだな!
一度壊れてしまったが、1700年ごろに伊福茂助さんという人が立て直したそうであるよ。いやあ、勉強になりました~!
それほどの剛の者だったのであるな~。
そういえば、ハマクラシー君!
オイラ三国志には詳しいぞ!
この後藤基次という武将を三国志で言えばどの武将が一番近いか、興味がないか?
よし、それではまたこの話の続きは次回に!
それまでの我慢だよ!トランキーロ焦んなよ!
では、またの連絡を楽しみに待っていてくれ!
では4コマ漫画でおさらばです~!
うらああ~!!