こんばんは~!ハマクラシー君!
だんだん昼は暑くなってきているぜ~!
夏バテ防止の準備のためには、今のうちに運動して汗をかく習慣をつけとくといいらしいぜ!でもなかなか運動ってしないよなぁ~。まったくよぉ~。
さて、オイラ、仕事でいつも大分県中津市の耶馬渓という景色のいいところをひた走っているのだが、最近、訪問先のおじいさんの話でちょっと面白いことを聞いたのだよ。
ハマクラシー君。
青の洞門って知っているかね?
禅海という名前の僧が彫ったっていう洞窟(トンネル)だよ。
おじいさんの話では、その禅海和尚さん、過去に人を殺めたことがあって、その償いの意味でもこの安全に通れるトンネルの採掘に着手したのだそうだよ。
そんで、掘ってる途中で禅海さんが殺めた人の息子さんがかたき討ちに来たのだが、採掘作業を見守っている地元の人たちに止められて、一緒に採掘作業をしたという逸話があるらしいのだよ。なんでも中津市民はほとんどの人が知っている有名な話らしい。
そんな面白そうなエピソードがあるのなら、ちょっと昼休みの時間に寄ってみるか!と思って行ってみたわけだ!
これが遠くから見た青の洞門だ。
地元の人たちが青の洞門ということで青いイメージを強調するかのようにネモフィラの花がたくさん植えられていた。きれいだな~。
禅海てぼりの洞門と書いてある。
ここから行くのだな。
すごいな~。
人の手によって30年掘られて作られた洞窟だ。
こんなのが掘れるもんなんだな~。
ここも明かりを入れるために掘り進めたのだな~。
たいへんだったろな~。
禅海和尚の採掘の様子を彫った像が飾ってあった。
これが明かり窓から見える山国川の景色だよ。
こういうのが残っているなんてすごいな~。
青の洞門のそばにある道のたもとにも禅海和尚の像があった。
道案内の看板に書いてあったが、1750年(寛延3年)の第1期工事の完成後には、通行人から人4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっていて、この洞門は日本最古の有料道路とも言われているそうだよ!すごいのう~!
さて、それはさておき、オイラが気になっていた、禅海和尚が昔人を殺めていたとか、その殺された人の息子がかたき討ちに来たなんてエピソードとかどこにも紹介されていないんだな~。
看板でも書いてくれてたらいいのに・・・と思って禅海和尚の銅像を眺めていたら・・・・はうあ!!
こ・・・これは!!
菊池寛先生の像も合わせて作られている。しかもその隣にある『恩讐の彼方に』って、もしかして・・・。
オイラはすぐにネットで調べた。
すると、まさにこの菊池寛先生の描いた小説『恩讐の彼方に』の内容が、むかし強盗などをしていた主人公が出家して、そして洞窟を掘って、かたき討ちが現れて・・・などなど、完璧におじいさんが言っていた内容と一致しているじゃないか!
というわけで、この青の洞門の禅海和尚をモデルに書かれた菊池寛先生の『恩讐の彼方に』の内容が、あたかも本当の実話のように混同して中津市民の人たちに語り継がれているということが分かったのだよ。
そういうことってあるんだな~。
まあ、青の洞門そのものはやはり貴重な遺産なので一目見ても悪くないと思うぜ!
それに近くには食事処や山国川の景色もきれいなので、ちょっと歩くだけでも気持ちがいいぞ!
ハマクラシー君も、機会があれば寄ってみてくれ。
じゃあ、今日はこの辺で!
おやすみなさ~い!