ハマサンス コンプリートライフ

ハマサンスは遠方にいる友人のハマクラシーへ声を発信し続ける。 どうでもいいことばかり話し続ける。

プロレスラー棚橋弘至選手の書いたメンタル本が面白いのだ!

こんにちは。ハマクラシー君。いかがお過ごしか?

 

まだぎりぎりツクツクボウシが鳴いているな。

 

もう今は絶対に夏ではないにしろ、ツクツクボウシだって立派なセミの仲間だ。心のどこかでツクツクボウシの鳴き声が聞こえるうちはまだギリ夏な気がしないでもないよな?

 

なに?しないだって?

 

チッ ハマクラシー君。いつから君はそんなに切り替えの早い日本人になってしまったんだい。

 

「はい、ここから秋!もう夏は終り!」っていうわけじゃないんだからさ。グラデーションのように季節の移ろいを感じたまえよ。きみぃ。

 

 

 

さて、今日は君にいい本を紹介してやるよ。

 

『疲れない男・棚橋弘至が教える!史上最強のメンタル・タフネス』の紹介

ハマクラシー君。きみ、心が疲れてたりなんかしてないかい?また、悩みごとなどはないかな?ん?

 

そんな君にうってつけの本があるぞ。

これなんだが。

『疲れない男・棚橋弘至が教える!史上最強のメンタル・タフネス』だ!

 

疲れない男・棚橋弘至が教える! 史上最強のメンタル・タフネス どんなことにもびくともしない「心」が手に入る

疲れない男・棚橋弘至が教える! 史上最強のメンタル・タフネス どんなことにもびくともしない「心」が手に入る

 

 

は?プロレスラーだから僕らの住む世界が違い過ぎて参考にならんのじゃないかって?

ふっふっふ。

心配ご無用ってものだよ。ハマクラシー君。

それにしても、君。よく棚橋弘至がプロレスラーだって知っていたな。褒めてやるよ。

確かに今では映画の俳優なんかもしていてメディアによく出ているものな。

棚橋選手は新日本プロレスが低迷していた時代を生き抜いて復活させた今のプロレス人気の立役者だ。

 

そんな棚橋選手だから、プロレスに限らずいろんな視点でまっとうな解決法をたくさんこの本で紹介しているぞ。

 

 いろいろ、悩みごとやつらいことなどに立ち向かう心構えや受け流し方が書いてあるから、いろんな人の参考になること請け合いだ。

 

また、具体的な悩みの対処法、解決策について述べてある章もあるので、自分に当てはまる悩みもこれでばっちりだ。

 

「結婚しろ」とうるさい親とどう付き合うか・・・なんて悩みにも答えているぞ。ハマクラシー君も参考になるんじゃないか?余計なお世話か・・・。

 

プロレスラーだからもちろんプロレスの話を引き合いに出すこともあるが、とくにマニアックな内容にはならず一般の人でも全然大丈夫だ!

 

仕事でのことや子育ての事まで多岐にわたって載せてあるから読みごたえもあるし、文章も易しいからとても楽しく読める内容になっているぞ!

 

具体的にはそうだな・・・

失恋から立ち直る方法とか

妻の育児ストレスにどう向き合うか、とか

強い男は家事をする・・・とか

ゲームのやり過ぎを止めるにはなんてことにも書いてあるぞ。

 

まあ、機会があれば読んでみてくれよ。とくに悩みなどなくてもいろんな発見や気付くことがあるかもしれないぞ。

 

そしてもしこの本を読んで棚橋弘至という人物に興味を持ったならばプロレスをみて応援してくれ!

僕はデビュー当時から棚橋選手を見ているから感情移入する部分も多いが、世代も僕らと一緒(年齢は棚橋選手の方がイッコ上)だからな。ついエールを送りたくなってしまうのであるよ。

 

まあ、プロレスも楽しいから気が向いたら見てみてくれ。

 

おっと、本の紹介のはずがつい脱線してしまったな。

 

今日のところはこんなところで終わりにするとしようか。

 

ではまたな。ハマクラシー君。

 

 

自分が死ぬ夢を見て起きた!おかげで健康志向を高める事が出来た・・・かも?

ちょっと、すまないね。ハマクラシー君。

こんな時間に。

 

もちろん寝てたよねぇ。

 

すまんすまん。

 

こっちも、もちろん寝ていたのだがね。

超絶おっかない夢を見て跳ね起きたところさ。

 

どんな夢かって?

 

はっきりと覚えているぞ。

病院で余命宣告を受ける夢だ。

 

夢の中では、両親やおばさん、妹と僕の長男が病院についてきていて、妹だけが泣いていたな。

 

いつも僕は夢を見ているときは夢の中でも「ああ、今見ているのは夢だなぁ」と思っている自分がいるもんだけど、今回はどっぷり夢の中でも現実と思い込んでしまっていたぞ。

意外とさばさばしたもんで、それでも「ああ、もうちょっと息子と遊びたかったなぁ」とか「子供と酒が飲んでみたかった」とか言っていたなぁ。

 

そこで、バチッと目が覚めて、もうかれこれ1時間眠れやしなかったのさ。

 

それで、こんな時間にハマクラシーくん、君を叩き起こしてだなぁ、わざわざ君にとってどうでもいい僕が見た夢の話なんかを聞かせているのだよ。いい迷惑だよねぇ。

 

死ぬ夢を見てこんなことを思った。

オーダーシャツを着用して考える男

んでね、ハマクラシーくん。普段、自分が死ぬなんてことは意識しないじゃないか。

ぼかぁねぇ、こんな夢で起きちまったから1時間ほど考え事をしていたんだよ。

 

主に2つのことを考えていたんだけどね。

 

1つは現実的なこと。

もう1つは妄想的なことだ。

 

まず現実的なことの話をするとだな。

ハマクラシー君。気づけば我々もう40代じゃないか。

 

身体は大切にした方がいいぞ。

 

ばかもん。「当たり前」などとあしらうでない。

 

今度うちの嫁も乳がんの検診にいくが、僕たちも体のチェックとかしといた方がよかぁないかね。

 

あと、僕は酒がたいそう好きだ。毎日結構飲むぞ。

運動は怠っているな。

 

今こそ生活を改めて肉体改造を真剣に取り組むべきではないかなぁ。

 

いや、6月から本当はダイエットしていたんだよ。でも8月の盆過ぎからだんだん運動をさぼりだして、またよく飲み食いするようになっちゃってねぇ。

 

5月は体重77キロ 8月は73キロ 今は75キロとリバウンドに成功しているのであるよ。

 

なにか、きっかけが欲しいなぁと思っていたんだけど。この夢こそ天の導きかもしれんな。

 

ハマクラシー君も健康に気を付けた方がいいぞ?

お互い長生きするために生きようじゃないか。

 

 

 

そして、もう一つこれは空想の話だ。

 

僕は最近面白い絵本を読んでね。

これなんだが・・・

 

このあと どうしちゃおう

このあと どうしちゃおう

 

 「もし自分が死んだらこんなことがしたい!」という内容だ。すごく楽しい絵本だぞ!

僕はもし死んであの世に行ったら、すでに他界してある格闘家やプロレスラーの試合が見てみたいぞ!

 

ちょっと頭の中で見たいカードを組んでみたんだよ。

アンディ・フグ VS マイク・ベルナルド

いいじゃないか~。フグのかかと落としが久しぶりに見れるぜ~。ベルちゃんも好きだったな~。

 

冬木弘道 VS ハヤブサ

FMWの立役者の二人でカードを組んでみたぞ。といってもハマクラシー君にはわからんか。冬木さんの地団太を踏むパフォーマンスとか叫びながらのラリアットとかみれたらいいな~。あとハヤブサさんのファイヤーバードスプラッシュが生で見れたらもう最高だな~。

 

ベイダー、スティーブ・ウィリアムス組 VS ゲーリー・オブライト、テリー・ゴディ組

なんかどうよ?

全日本プロレスで大暴れしていた外人たちでカードを組んでみたが、一人一人の存在感が強すぎて試合の展開が全く予想つかんぞ。

 

三沢光晴 VS 橋本真也

全日四天王と新日三銃士の対決だ。ZERO-ONE旗揚げ戦でもちょっと絡んだけど、シングルだとどういう試合になるのだろうか?

 

まだまだ探せばたくさんカードが出来そうだが、このぐらいにしておこう。あくまで死んでからの楽しみだからな。まさに「トランキーロ、あっせんなよ!」って言われちまう。

それに、ハマクラシー君、きみはプロレスに興味ないからな。受話器の向こうで寝ながら僕の話を聞いてたんじゃないのか?

 

え?マジで寝てたのか?

こっちは夢中で話していたから気づかなんだぞ。

まあ、いいか・・・。

 

 

ハマクラシー君、君はあの世に行ったらしたい事とかあるのかね?

 

ん?

 

「ZARDやhide、L⇔Rの新曲が聴きたい」だと?

ふふふ。

なるほど、そりゃぁ聴きたいねぇ。

 

まあ、お互い死後の楽しみもあるっちゃあるってことでそろそろこの話をしめさせてもらおうかしらねぇ。

 

 

さて、今5時20分だな。

 

今からだったらギリギリ2時間ぐらいは寝れるか・・・!

よし、寝よう!

 

ハマクラシー君、ではまた!

 

おやすみなさい!

 

 

 

 

 

子どもと一緒にプロレスイベント「ドラゴンゲート」を見に行ったぞー!

今日はとなり町で開催されたプロレス団体ドラゴンゲートを見に行ったのだ!

タイトルは「親子で楽しめるSUPER 夏休みBATTLE~子供たちの喜怒哀楽を呼び起こすためのプロレスエンターテイメント~」

 

自分はプロレスが好きだが、うちの子どもたちはテレビでしかプロレスを見たことがないので実際に見たら迫力が違うことを体感してほしかったのである。

しかもこのスーパーバトル、観覧はタダなのである!

 

f:id:hamasansu:20180820222056j:plain

体育館の中にはリングが設営されており、椅子が並べられ雰囲気満点!

 

試合開始前に、ドラゴン・キッド選手とYAMATO選手とリングアナウンサーの方がリング上であいさつ。

f:id:hamasansu:20180820222519j:plain

 

そして、子供たちを数人選んでリング上で前転を教えるということに!

 

「上がりたいお子様いらっしゃいますか~!?」の声に

うちの息子と娘は甚だ恐縮するばかりであった・・・。

 

他の子供たちは自分をリングに挙げてくれとアピールの嵐!!

挙手が多いのでジャンケンで勝った子を上げようとするYAMATO選手。

f:id:hamasansu:20180820222947j:plain

笑顔が素敵で楽しい雰囲気作りがかなり上手!

大体子供たちがリング上に上がった後一列に並び、ドラゴン・キッド、YAMATO両選手が一人ずつ前転を見て必ず褒めた後、さらに良くなるアドバイスを丁寧にコメント。

f:id:hamasansu:20180820223329j:plain

 

 

子どもたちとのコミュニケーションを図ったところで、プロレスのルールを簡単に説明。そして、応援やブーイングの仕方なども加えて説明。

 

そして、いよいよプロレスの試合が始まった!

試合は前4試合。

 

第1試合は

Kzy、堀口元気、横須ススム VS 吉岡勇紀、斎藤了、ウィリー・マック

 

第2試合は

パンチ富永、望月成晃 VS ビッグ・R・清水、高木信悟

 

第3試合は

石田凱士、ジェイソン・リー VS Eita、神田裕之

 

メインイベント

ヨースケ♡サンタマリア、kagetora、B×Bハルク、YAMATO

VS

Ben-K、土井成樹、ドラゴン・キッド、吉野正人

 

ドラゴンゲートの所属選手に疎い僕でも、顔や名前を知っている選手が多数登場することにびっくり!

 

こんなにメインイベンターやベテランの選手が組まれているとは全く予想していなかった!だって、タダなのだから!

 

また、試合ごとに選手が適当に番号を呼び、我々が入場時にもらったチケットの下に書いてある番号が当たっている子供は試合開始のゴングを鳴らすことができるというサービス付きだった!

 

自分は「当たれ~当たれ~」と念じていたが、どうやら子供たちは相変わらず委縮しており自分とは逆の願いを念じているようだった。いやはやなんとも、親に似て内向的な子供たちだ。

 

そして試合は進行していく。

 

どの試合もヒール軍団の選手がわかりやすい悪さブリで子供たちのブーイングを引き出したり、相手の応援を煽ったり試合の組み立て方がうまいなあと感じた。

 

なので、当然会場の子供たちも選手たちに感情移入して大きな声で選手を応援していたのである!

 

やはり、ドラゴンゲートは選手一人ひとりの特徴がしっかりしていて見ていて楽しいなあと改めて思ったのであった。

 

個人的には今年全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルに出場した高木信悟選手が見れたことがうれしかった!

f:id:hamasansu:20180820231007j:plain

ちょうど、場外乱闘の際に自分たちの席の前を通って行ったので慌ててシャッターを切ったのである!

ヒール軍団に所属していたが、心の中では「がんばれ!高木!」と応援を送っていた!

 

メインイベントに登場したヨースケ♡サンタマリアのキャラがとても面白くて、子供たちに大人気!

f:id:hamasansu:20180820231315j:plain

 

試合もとても楽しく進行し、最後まで見ていて飽きなかった!

 

試合が全て終わり帰ろうとしたときにふと見るとドラゴンゲートの選手たちが会場の椅子を片付けていた。ドラゴンゲートのトップ選手でもそういった地味な作業をしているのだな~としみじみ感心したのであった!

 

子どもたちにも優しいアプローチで分かりやすく、そしてプロレスラーの強さ、すごさも伝わりとても充実したイベントだったのだ!

 

うちの子供たちも楽しんだようでまた来たいといっていた!

 

大満足のプロレス観戦だった!

ドラゴンゲートの選手の皆様、お疲れさまでした!

また、子供たち連れて見に行きます!

 

というわけで本日はここまで!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

 

8月12日はとても暑い(熱い)一日となったー!(甲子園、新日本プロレスG1クライマックスなど)

8月12日はとても感動をいただいた日となった。


パソコンやりすぎて目から汗が

まず前日11日の話から・・・

8月11日は庭の剪定した木の枝を集めてその枝を運ぶ作業をしました。

 

よって、あくる日の朝8月12日は筋肉痛やら疲労感やらを引きずっており、朝から何やらぼんやり。

 

せっかく仕事が休みの日なのだからと、いつものように家事をしているが、やはり少し動いたらすぐに横になってしまう体たらく・・・。

 

そこで、一発気合を入れようと、子供たちを連れて
いつもの行きつけのラーメン屋「勝山ラーメン」で激辛ラーメンを食し刺激を注入!

 

しかし、この日は午後からそれ以上の刺激をもらいまくったのだった!!

 

甲子園の試合を何気なく見ていたが、みなさんご覧になった方も多いと思うが、
この日第3試合の「星稜VS済美」の試合である。

f:id:hamasansu:20180813004133j:plain

 

一言で言うなら・・・いや!

一言でこの試合を言い表すことなどハマサンスには到底無理!

 

絶望的な点差をひっくり返す済美。

 

9回表にそれをさらに追いつく星稜。

 

どんなピンチにも冷静かつド根性で全力投球する両チームのピッチャー。

 

一球一球にどよめいたり万雷の拍手を送るスタンドの観客や応援団たち。

 

最後は延長13回タイブレークにて試合が動き、
最後がこれまた逆転満塁サヨナラホームランという劇的な決着!

 

開いた点差を追いついた済美高校もすごかったし、デッドボールを膝に受けながらも完投した山口投手はあっぱれだが、どんなピンチにも揺るがず立ち向かった星稜の2年生寺沢投手も同様にあっぱれだったのだ!

 

こんなドラマティックな試合はそうそう見れるもんではないが、なぜか星稜の敗れる試合はドラマティックな試合が多いように思う。

 

見ていて目頭が熱くなる(明らかに泣いてしまったが)名勝負だったのだ!

星稜と済美の両チームには本当にお疲れさんと言いたい。

そして感動をありがとう!

 

 

 

そして、さらに今日はプロレスファンにとっては一大イベント!

G!クライマックス28優勝決定戦が日本武道館で行われた!

 

決勝戦は棚橋弘至VS飯伏幸太!

 

自分は心情的には棚橋選手を応援してやりたかったが、ここは飯伏選手の初優勝かなと思っていた。

棚橋選手は怪我に怪我を重ねコンディションを保つだけでも精いっぱいという印象で、よくぞこの状態でこの多士済々といえる新日本プロレスのリーグ戦で決勝に進めたなと正直思っていたのである。

 

試合も激しい内容でいつどちらが勝ってもおかしくない、しかし棚橋選手のすさまじいばかりの“意地”が見えた試合展開だった。

 

本来、棚橋選手は無骨なものを強調したファイトスタイルはそこまで見せないような気がするが、この試合は本当に「負けて堪るか」と言う決死な思いがひしひしと伝わってくる戦いぶりだったのだ!

 

長年プロレスを見ていると、その様は散る前の華の果かなさに見えないこともないのであるが、なんとなんと、予想を反して棚橋選手の必殺技ハイフライフロー3連発で見事勝利!

 

3度目の優勝に輝いたのである!

f:id:hamasansu:20180813005636j:plain

 

これは、本当にすごい!

 

多くのプロレスファンが驚いたのではないだろうか!?

 

棚橋選手のド根性が前面に見えたG1クライマックス。
本当に棚橋選手は華があるし、それに加えて最近渋みが出てきてかなりかっこいいと思えるのである!

 

本当にエースと言うのは常に進化を求められ、またそれに応えて結果を出していくのだなとしみじみ思ったのであった!

 

棚橋選手おめでとう!

ぜひIWGPを奪取して最高の夢を見させてください!

 

 

 

というわけで、かなりおなかいっぱいな本日の刺激受けまくりな試合をみてしまい
自律神経の不調和も仕方ない8月13日午前1時のハマサンスなのであった!

 

高校野球ありがとう~!

新日本プロレスありがとう~!

 

では本日はここまで!

ありがとうございました~!

 

鈴木みのる選手の日記で心に残った個所まとめ

プロレス格闘技DXというプロレス専用モバイルサイトで選手たちの日記コーナーがあったのだが、その中でもぶっちぎりに好きだった鈴木みのる選手の日記が終了してしまった。書籍化してくれれば買いたいぐらいなのだが、それはないみたい。
なので、まだバックナンバーが閲覧できるうちに心に残った個所を抜粋してブログ内に残しておこうと思った。

プロレスに興味ない方でも、何か刺激になればと思うのでぜひどうぞ!

いやあ、それにしてもこの日記12年も続いていたのだな~。

 

では紹介を始める!

 

 

【2006年6月1日の日記より】

〇便利なことはいいことだ。しかし・・・不便さもまたいいもんじゃないかなあ? デジタルの便利さは使うがアナログの不便さを大事にしたい。

 

〇ハマサンスの感想

・・・いやあ、本当にその通りだと思う。人間が進化してきたきっかけは全て「めんどくさい」を解消するために進化してきたようなもんだ。しかし、徹底的に無駄と思えるようなものを排除するばかりでは人間としての面白みが半減してしまうし、心の余裕も薄れてしまうような気がする。

たまには、現代における「無駄」と思えるものにどこまで余裕で付き合えるかがその人の奥深さにつながるような気がする。

 

【2006年6月22日の日記より】

〇戦いは“技術”や“肉体”や“精神力”だけでは勝てない。一番大切なのは“戦う魂”なのだ。どんなに追い込まれても、自分があきらめなければ 100%ダメにはならない。逆にどんなに強くてもあきらめてしまえば負けてしまう。本当に力の限り戦ったらどんな結果でも“選手を称える心”を持つ日本人が温かく迎えてくれる。

 

〇ハマサンスの感想

・・・これは、2006年FIFAワールドカップドイツ大会において日本チームの試合の様子を見たときの感想を述べていて、いうなれば日本チームへの檄ともとれる内容だった。

鈴木選手は本当に現時点(2018年)までの生き様そのものがこの文章の通りで、
プロレスの試合での勝敗以上に、生きている姿そのものが“戦う姿勢”を示し続けている気がする。

いやあ、正直・・・男としてあこがれてしまう。

 

 

【2006年6月29日の日記より】

20代の頃、おれは理想のプロレスを求め、新日本~新生 UWF~藤原組~パンクラスと渡り歩いた。非常に聞こえは良いが、本当は違う気がする。あのころ、俺は自分以外を否定してきた。そうすることで自分を守り自分を正当化してきた。先輩たちとうまくいかなくなってくると人のせいにしてた。自分の思い通りにならないと、これも人のせいにしてた。ついでに責任を他人に押しつけてもきた。

「〇✖さんのせいで、こうなった」とか「〇✖さんが俺にやれって」「おれはちゃんとやったけど・・・」とか・・・。小さい。器が小さい。ついでに、「。発選手とやらせろ!」「選手とはやりたくない」「やれと言われればやりますけど・・・」などとほざいていた。

 様々な物や事を“理想”や“信念”という言い訳を使い、逃げていたような気がする。俺の“理想”“信念”って・・・一体何なんだろう?形にこだわり・・・カッコにこだわり・・・。今は何故だか、素直に試合を迎える事が出来る。今は“理想”や“信念”という言葉を振りかざさなくていられる。いつ気持ちが変化したのかわからない。どうして変化したのかもわからない。

 ・・・時々こんなことも思うが、本当はそんなことすら今はどうでもイイ。様々な、色々な選手と対戦し、“鈴木みのる”を大いに楽しみたい・・・。これが本気の本音。

~中略~

いろんな意味で、これからの自分が楽しみである。

 

〇ハマサンスの感想

・・・『所ジョージの世田谷ベース37』で所ジョージさんがこんなことを言っている。

所「10代よりは20代の方が面白いよ。20代よりも30代。30代よりも40代。
30代の面白かったより、40代の面白かったが面白いよ。それより50代の方が面白いよ。
ずっと前の事より面白いんだよ。」

 

さらに所さんはこう続ける。

 

所「そうでなきゃ生きてる意味ね―じゃん。『ハタチの時の方がよかった』って、
じゃあ死ねよと思うわ。なんかみんな、振出しに戻りたいみたいなことを言うじゃない。そうじゃなくて、最後まで死ぬとこまで行って、死ぬ寸前に思えよと。『あ~自分の人生は二十歳のころが一番面白かったのかな』とか。

まだこの先に生きてく日々が続くのに嘆くなって話だよ。人生なんてどこにピークが来るかなんてわかんないんだから」

 

鈴木みのる選手と所ジョージさん。ともに自分の大好きな著名人なのだが、中身は違うようで二人とも未来に向けてすごくワクワクしながら生きているのが伝わってくる。

 

自分はどちらかと言うと昔の事ばかり引きずってばかりいるので、こういった人たちがうらやましくて仕方がない。

 

たくさん自分の中でのワクワクを見つけて楽しく前向きに人生を歩いていきたいとこの日記の文章を見て強く思ったのだった。

 

 

 

今回はここでおしまい。

また、鈴木選手のいい言葉を掘り起こして紹介できればと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

ではまた!

 

マサ斎藤・・・その波乱万丈なプロレス人生

f:id:hamasansu:20180717214757j:plain

 

まさに虫の知らせと言うべきか、先日の7月14日僕は仕事の後輩と何気ないプロレスの話からマサ斎藤さんの話になった。「今どこで何をしているのだろう?」と・・・。後輩がインターネットで調べると現在マサ斎藤さんはパーキンソン病を患い、今なお闘病中とのことだった。

その二日後、ニュースでマサ斎藤さんが容体が急変して亡くなられたことを知った。亡くなった日は奇しくもあの何気なく後輩と話をした7月14日とのこと。信じられなかった。

 

僕は昔のプロレスに詳しいわけではない。マサ斎藤さんについては僕がプロレスを見始めていた時に新日本プロレスの解説を務めていたことぐらいしか知らない。マサ斎藤さんがどのような生き方をしてきたのか、どのようなファイトスタイルだったのかを知らないのだ。

 

そこで、マサ斎藤さんのプロレス人生を自分の持っている数少ない本を参考にまとめてみようと思った。プロレスの知識に精通している人であればはなはだ稚拙な内容かもしれないが、どうかご容赦願いたい。

では、始めるとする。

 

マサ斎藤さんのプロレス人生

昭和17年8月7日 東京都中野区出身 本名は斎藤晶典。明大レスリング部で活躍。昭和38年のアマレス、フリー&グレコ両スタイルのヘビー級全日本選手権優勝。

翌39年に待望の東京オリンピック出場を果たす。

40年4月力道山亡き日本プロレスに入門。

早くも6月3日の札幌大会でデビュー(対高崎山戦)しているが、41年3月に豊登に誘われて東京プロレスの設立に参加。

その東京プロレスは豊登と猪木の喧嘩別れで空中分解。

 

※マサ斎藤と猪木は同学年になる。マサ斎藤は日本プロレスの相撲部屋体質にどうしても馴染めず、プロレスをあきらめかけていた。日プロを除名になっていた豊登が新団体を作るというのでマサ斎藤はこれにかけてみた。猪木も豊登に誘われて日プロをやめて新団体に走った。東京プロレスの社長になるのは自分と同じ23歳の猪木だという。しかしその時そののマサ斎藤は猪木の生き方に共感を覚えた。しかし結局は猪木も帰国していない状況だったため、マサ斎藤が代表取締役に就任した。
東京プロレスは結局1年ちょっとで倒産。猪木さんは日プロに復帰し、東京プロレスの若手たちのほとんどは国際プロレスに吸収された。

 

マサ斎藤はその後半年間の“浪人生活”のあと昭和43年春に単身アメリカへ渡った。

ここから“男一匹”マサ斎藤の波瀾万丈のプロレス人生が始まる。

 

昭和42年に単身渡米。ロサンゼルスでアメリカ初マットを踏み、サンフランシスコに進出。日系の強豪、キンジ・シブヤのタッグ・パートナーに起用されて出世のきっかけをつかみ、USタッグ王座を奪取。USヘビー級王座も獲得して2冠王に輝く。

フロリダ地区に転戦してシングル・タッグ王座を総ナメにする躍進ぶり。

 

このアメリカでの活躍が認められ昭和47年3月日本プロレスに参戦。除名が解けて5年ぶりの帰国だった。

49年4月からは新日本の常連となって大暴れ。

54年4月5日東京体育館ではヒロ・マツダと組みストロング小林組を破って北米タッグ王座を奪取、そのままアメリカに持ち帰っている。

56年にはニューヨークに進出。WWF世界タッグ王座を獲得。

58年からはバーン・ガニアに誘われてAWA圏に定着。

59年4月にサーキット仲間のケン・パテラが起こした警官暴行事件に巻き込まれ、約1年間の刑務所暮らし。そこで考案したのが足殺しの複合技「監獄固め」だった。

1年5ケ月間のリハビリ生活の後、昭和61年12月に出所。翌62年に永住帰国する。満44歳になっていたマサ斎藤は新日本のリングに安住の地を求める。

 

昭和58年秋から勃興した長州・浜口・谷津らの維新軍団からジャパン・プロレスの全日本参戦まで陰の導火線の役割を果たした。

しかし、マサ斎藤がアメリカを捨てて約20年ぶりに日本に帰ってきたプロレス的な理由はあくまでもアントニオ猪木とシングルマッチで戦うためだった。

 

3,26:「INOKI闘魂LIVEパート2」大阪城ホール

4,27:“ノー・ロープ・デスマッチ”両国国技館大会

6,12:「87 IWGPチャンピオン・シリーズ 優勝決定戦」両国国技館大会

そして・・・

10,4:“巌流島の決闘”

マサ斎藤とアントニオ猪木は約半年の間に立て続けに4回もシングルマッチで戦った。
どれもこれもドラマ性と事件性にあふれたビッグイベントで海賊男が出現して試合をぶち壊したり、長州力とその仲間が乱入してきたりした。

 

特に観客無しのデスマッチ「巌流島の決闘」は2時間5分14秒もの死闘に及び多くのファンの記憶に刻まれた一戦となった。結果は斎藤がノックアウト負けという結果に終わっている。

 

平成2年 2月10日東京ドームでラリー・ズビスコを破って第40代AWA世界ヘビー級王座になった記録も大きい。

 

40代~50代にかけての10年間はあっという間に過ぎた。旧ソ連のアマチュア・レスラーたちにプロレスを教えたこともあったし、ベイダー、スコット・ノートンといった大物レスラーを何人も育てた。ホーク・ウォリアーと佐々木健介にタッグを組ませ、「ヘル・ライダース」というコラボン・ブランドをプロデュースしたこともあった。

 

平成11年2月14日、日本武道館におけるスコット・ノートンとの引退試合を最後に34年間の選手生活に別れを告げた。

 

※猪木が辞めないうちは自分もやめないでおこうと思っていたが、猪木が引退したらマサ斎藤もリングに上がる理由がなくなった。マサ斎藤とアントニオ猪木は最後の最後まで“第3者”のいるところで会話を交わさなかった。

 

色々な呼び名

若い頃は横山隆一描く漫画『フクちゃん』似であったことから「フクちゃん」。

現役時代は「ゴリラ」。引退して事務所に居座るマサ斎藤はまるでクマのぬいぐるみのようだった。

一時「獄門鬼」というニックネームがついたが、本人の希望により使われなくなった。

よく使われるのは「監獄レスラー」。

 

監獄固め

マサ斎藤の得意技。1年の刑務所生活をし、その出所後「獄中でこの技を開発した。」という発言からこの名前が付いた。寝た状態の相手の足を交差して絡めとり、腰を落として体重をかけ膝を締め付ける技。相手の膝関節にダメージを与える。

マサ斎藤以外の使い手は谷津嘉章。ジャイアント馬場は谷津の監獄固めを見て「これは一度かかったら抜け出せないだろう」と言っていた。

現在はプロレスリング・ノアのマサ・北宮が使用している。

f:id:hamasansu:20180717231455j:plain

 

巌流島の決闘

「今までの俺は試合に関して、自分から条件を出したことがなかった。フロントの要求、対戦相手の要求を全て無条件にのんできた。しかし、今回だけは俺の夢とロマンを通させてもらうつもりだ。」
猪木は戦前こうコメントしている。

このテレビ局や客を排除した巌流島での対戦カードか決まると、東京スポーツもそれに呼応した。

「決戦の場の傍らには底なし沼が広がっている。」

「危険な野生動物が生息する丘もある。」

単なる嘘であるが、そのぶっ飛んだプロレスの世界から徹底して虚構性を排除してしまうと、その魅力は半減してしまうのだ。

 

決戦場もかがり火が取り囲む中、いよいよ戦いは始まった。

 

草地でスリーパーを決められた猪木の口から大量の泡を吐いた。猪木の10発以上のヘッドバットと鉄柱攻撃によってマサ斎藤は頭から下腹部までおびただしい量の血で染まっていた。島を渡る風に乗って記者席まで血の匂いが漂ってきた。またヘッドバッドの鈍い音も何度もこだました。船木誠勝が「社長!社長!」と叫ぶ中、アントニオ猪木は血塗れの顔面に草をくっつけて月光の下を這いまわった。

巌流島の決闘と銘打たれたこの戦いは、その内容もまさに戦慄と言えるものだった。

そして、2時間5分14秒この激闘は、マサ斎藤のTKO(戦意喪失)で終わるのだった。

f:id:hamasansu:20180717233459j:plain

 

終わりに

こうして、マサ斎藤さんのことを調べると本当に日米ともに栄光に満ちて、また紆余曲折があったのだと考えさせられる。

よく、外国のレスラーに英語で話している姿をテレビで見たことがあったが、その姿がエリート感があって、容姿とのギャップもありとても好きだった。また、マサ斎藤さんの解説も愛嬌があり聞いていていい方は変だが和やかな気分になったものだ。マサ斎藤さんの解説に野暮なツッコミを入れない敬意を示すように実況をしている真鍋アナウンサーも大好きだった。

マサ斎藤さんが言っていたGo for broke」(当たって砕けろ)

今後の自分の人生にも渇を入れなければならない場面のときは、この言葉を思い出していこうと思う。

 

最後にマサ斎藤選手のご冥福を心からお祈りします。どうか安らかに・・・。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

これが言えたらプロレスファン?プロレス用語紹介その6

こんにつはー。

ハマサンスです。今回もプロレス用語についてちょっとずつつまみ食い程度に記載したいと思います!

 

①    テキサス・クローバー・ホールド

 

仰向けに寝ている相手の左足を右のわきの下に抱え込み、相手の右足のすね部から自分の両手を下からくぐらせ、相手左足の大腿の上で両手を固定。そのままステップオーバーして逆エビ固めを決める技です。相手の下半身全体を締め上げます。逆片エビ固めの類似技として相手の腰に大ダメージを与える技です。

テリーファンク選手のオリジナル技で、ディーン・マレンコ選手も多用していました。近年では棚橋弘至選手がこの技を使い、IWGP戦の矢野通選手相手にもこの技で勝負を決めています。

 

②    マスカラ・コントラ・マスカラ

 

覆面レスラー同士が、自らのマスクを賭けて戦う試合のことです。負けた方は試合後にマスクを外さなくてはならないためマスクマンにとっては、まさにレスラー生命を賭けた戦いとなります。

また、マスクとマスクをしていない選手が自分の髪の毛を賭けて戦う「マスカラ・コントラ・カベジュラ」という試合もあります。

ちょっと昔では矢野通選手が棚橋選手に負けたときに髪の毛をバリカンで刈られました。また、今年1018年の新日本プロレス14東京ドームでNEVER選手権で鈴木みのる選手と後藤選手との試合で敗れた鈴木選手は自ら髪をバリカンで刈っている姿が印象的でした。

 

③    マジソン・スクエア・ガーデン

 

ニューヨークにあるスポーツアリーナ。1985年、WWE年間最大の祭典「レッスルマニア」最初に行われた会場として格闘技の殿堂ともいわれています。2万人収容のスポーツアリーナと、5千人収容のシアターなどで構成されています。日本人では、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、藤波辰爾、初代タイガー・マスクなどがこのリングに上がりました。

f:id:hamasansu:20180715013225j:plain

 

④    ジャパニーズオーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド

 

もともと自身の「ジャパニーズオーシャン・スープクレックス(相手の背中で交差させるクロス・アームスープレックス」を、肩車式の「クロスアーム(前で交差)・スープレックス」に改良した豊田真奈美選手のオリジナル・ホールドです。

技の一連の流れ、そして技の名前の長さも含めたインパクトともにプロレスファンの中では現在まで豊田選手の代名詞として記憶に刻まれています。

 

 

さて、どうでしたか?

今回は一つ一つの内容が薄くてすみません。

自分自身も勉強しながら載せています。

また、次回もよろしくお願いいたします!

ではでは。

これが言えたらプロレスファン?プロレス用語紹介その5

みなさん、こんにちはこんばんは

ハマサンスです。

今回は久しぶりに『これが言えたらプロレスファン!?プロレス用語紹介』の続編を書きたいと思います。前回は4までだったので今回が5回目です!

よろしくお願いいたしまする~~~。

 

ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン

 

まず、「ロス・インゴベルナブレス」とは新日本プロレスの内藤哲也選手が2015年に遠征先のメキシコで加入したCMLLのユニットチームです。ユニット名の意味はスペイン語で「日本の制御不能な奴ら」という意味になります。

内藤選手はCMLLでロス・インゴベルナブレスに加入し、帰国したあたりから不穏な言動が目立つようになります。そして、それまで新日本では正規軍に所属して内藤は正規軍を止めロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを立ち上げました。

 初期メンバーは内藤哲也、EVILBUSHIです。その後SANADA、高橋ヒロムが加入しました。また、海外からのサポートメンバーとしてルーシュが内藤と組みタッグリーグに出たこともあります。

本家となるロス・インゴベルナブレス同様、ベビーフェイスでもヒールでもないユニットですが、メンバーによる乱入介入、対戦相手につばを吐きかけるような挑発行為や毒霧攻撃、椅子を使った凶器攻撃などヒール寄りのファイトスタイルが定着してきています。

初めは「長いユニット名だな~」と思っていましたが、言えるようになると何か「通」になったような錯覚を起こしていました。今は締めにユニット名を大合唱することもあり、会場ではほぼお客さんに浸透しているユニット名になっています。

 

ジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールド

 

フォール技です。うつ伏せの相手の両脇に自分の足を差し込み、横に回転。相手があおむけになったらブリッジをしてフォールする技です。また後方から相手をロープに振り反動で後ろに下がったタイミングで仕掛けるときもあります。

ジョー・マレンコ選手は数々の技の中でもこのジャパニーズ・レッグロール・クラッチが特に芸術的でした。また、一時期棚橋選手もこの技を頻繁に使っていました。

最初に日本で公開したのは、ビル・ロビンソン選手と言われています。当時は「半回転エビ固め」と表現されて、ダブルアーム・スープレックスと並ぶフィニッシュホールドとして毎週のようにテレビで放送されていました。

この技の一番の見どころはズバリ「ブリッジ」です。藤波選手も長州力選手とのIWGP選手権試合でこの技でフォールを奪いましたが、腰の痛みのため上体が伸び切ってしまい、技としての美しさが損なわれていました。

今でこそ、この技を決め技として使っている使い手はいなくなってきましたが、やはり試合中この技が繰り出されると、打撃・投げ・関節技とは違った視覚的な美しさに見ている観客にもインパクトを与えます。

 

正直、すまんかった

ごめんなさい、おねがいします、 

「防衛したら藤田とやってやる」と豪語したものの、防衛戦で負けてしまった佐々木健介選手が藤田和之選手に言ったセリフ。

 

防衛戦でスコット・ノートン選手に敗れた佐々木選手は試合後来場していた藤田選手にリング上でこう言いました。

藤田正直、スマンカッタ、ベルト。でも、今、はもう失うものは何もないリングに上がるんだったらとことんやる」

 

これを受けた藤田選手は「49大阪ドームタイトルを賭けなければでないといいましたが・・・しょうがないのでは出ます」と返答しました。

多くの場合、プロレスラーは負けたり自分に不利な状況に置かれても"負け惜しみ"を言うものですが、この発言では素直に本音を吐露しており、佐々木選手の人柄が現れたセリフといえましょう。

このセリフにはアントニオ猪木さんが「戦う前から謝るやつがいるか」とコメントしたり、G1クライマックスの公式戦で佐々木選手が高山善廣選手に勝利した際、高山選手はバックスペースで「正直、なめててすまんかった。」と佐々木選手のセリフを逆手に取ったコメントを残しました。

 

 

 

というわけで今回はここまで!

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

これが言えたらプロレスファン?プロレス用語紹介その4

みなさま、こんにちは。こんばんは。

ハマサーンスでございまっす。

 

みなさまにいかなる評価をいただいているか、世の覚えは存じませぬが、

今回もプロレス用語を並べ立てて自己陶酔に浸るわけでございますよ。

うっひょっひょ。

 

では、始めまする~。

 

①    キャッチアズキャッチキャン

 

キャッキャキャッキャうるさいと思いでしょうか。キャッチアズキャッチキャンは、プロレスやアマレス(フリースタイル)の源流となったレスリング。日本ではビル・ロビンソンやカール・ゴッチによってその技術が伝えられました。現代のプロレスとは少し異なり、主にサブミッションを中心に試合を組み立てる形態なようです。

イングランドでこの体系は確固たる地位を築いていましたが、さらに第2次大戦中にビリー・ライレーという選手がジムを開き、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソン、ダイナマイト・キッドといった超大物を輩出しました。

現在はザック・セイバー・ジュニアというイギリスの選手が、たくみかつ鋭い切れ味のサブミッションの数々で新日本プロレスのレスラーたちを倒しています。

また、獣神サンダーライガーさんがザック・セイバー・ジュニアの試合中、解説の中で言っていたのですが、最近ではキャッチアズキャッチキャンを忠実に再現しているレスラーは本場であるイギリスでもほとんど見かけなくなったそうです。

 

②    コシティ

 ソース画像を表示

選手が使うこん棒状の道具です。漫画などでもプロレスラーがトレーニングでよくこのコシティを振り回している絵が出てきます。

以前、深夜放送されていたワールドプロレスリングでカール・ゴッチさんの自宅に取材にいく企画があって(たしか、木戸修さんの引退試合前での企画)ゴッチさんのトレーニング部屋にいくつも、このコシティが並んであった記憶があります。ゴッチさんは70を過ぎてもトレーニングをされてあったそうで、亡くなった時は、「あの元気なゴッチさんが?」と思い、信じられませんでした。ゴッチさんが亡くなられて西村修さんは「プロレス界の宝が失われた」と言っていましたが、本当にその通りでファンにとっても悲しいことでした。

個人的にはモバイルサイトの「プロレス格闘技DX」で現在闘病中の高山善廣選手が日記「復活!?場外乱筆」でコシティを振り回している姿が印象的でした。ちなみに、この日記でこの道具が「コシティ」という名前だというのを知りました。

今懸命に頑張っている高山選手が少しでも回復できるように願っています。

また、高山選手の家族にも早く安心な、穏やかな時間が流れますようにお祈りしています。

 

 

③    スカイ・ハイ

 

Sky High」イギリスのポップミュージックグループ「ジグソー」が1975年にリリースした曲でメキシコのプロレスラーミル・マスカラス選手が全日本プロレスに入場するときに流したテーマ曲でした。

この曲は全英シングルチャートで9位を獲得していましたが、日本でもミル・マスカラス選手の影響でこの曲が深く浸透し、オリコンではシングルチャート最高2位を獲得するほどでした。

今でも様々なオムニバスCDに選曲されるほどの有名曲で、爽快さを感じるメロディに思わずミル・マスカラス選手がフライング・ボディ・アタックを披露している画が目に浮かんでくるようです。

プロレスに興味がない方も一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

名曲です。

 

 

今回はここまででございます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。