こんばんはー。ハマクラシー君。
夜だけど福岡は比較的寒くないぞ。
さて、М1グランプリも終わり、いよいよ年末に向けていろいろしなければいけないな。
その“いろいろ”の中に「お墓の掃除」も入っているのだよ。
オイラは毎年だいたい盆と正月の前に子供たちを連れてじいちゃん・ばあちゃんのお墓を拭き掃除に行っているのだよ。
え?「先祖思いで感心だ」だって?
ふっふっふ。まあ、そんなふうに言ってもらえりゃうれしいっちゃうれしいが、ちょっとこちらのモチベーションは違う部分にもあるのだよ。君ぃ。
今僕たちは亡くなったじいちゃん、ばあちゃんの家に住んでいる・・・いや、住まわせていただいているのだ。
だから、家を大切にするのはしているつもりだけど、おじいちゃんたちのお墓もきれいにしておかないと、なんかじいちゃんが「こりゃ~、わしの家に住まわせているのに墓はほったらかしか~い!」と、この世では考えられない手法で罰を与えてきそうで怖いのだよ。
だから、お墓の掃除をしている。うん。
身内の家なのにと変に思うかもしれないが、やはりこの家に住み始めた当初は怖かったぞ。じいちゃんやばあちゃんが住んでいた思い出の家だからな。
なんか出てきそうで・・・。
1歳の娘が入院した時も付き添いで病室のベッドの中で、
「なんでこんなことに・・・これは何かの祟りじゃないだろうか?何かオイラ悪いことしたかな~。」
「してないと思うんだけどな~。」
「はうあ!!?」
「そうだ・・・。庭に植えているじいちゃんが生前大切にしていた柿の木を昨日切り倒したぞ。・・・きっとこのことでじいちゃんが怒って罰を与えたんじゃないのか・・・?」
「きっとそうだ・・・。ゆるしておくれ~。ブルブルブル。」
マジでその時はそう思っていたぞ。だいぶやられていたのが伝わるだろう。
それくらい、亡くなった先祖の存在を割と日常的に意識しているハマサンスだ。
「変わってるな」だって?
そうだねぇ・・・。変わっているかもしれんねぇ。
例えば、ハマクラシー君、きみは急いでいるときに赤信号につかまったらイラつくだろう?
でもオイラの場合は違うんだよ。
「ああ、きっと、今赤信号で捕まっていなかったらこの先で事故っていたんだ。ご先祖様がここで止めてくれたから助かったんだ。ありがたや。」
・・・という風に考えるのだよ。
変かい?
このことを話したら70歳の高齢者にも考え方が古いと言われたぞ。ふふふ。
でもこういう考え方も時には大事だと思うんだよ。
人っていいことが起こりゃ「ラッキー」で済ますけど、悪いことが起こると神様だとか幽霊の仕業とか言うじゃないか。
だから何が言いたいかというと、つまりはこうだ。
良いことが起こったり、割と悪いことが起こらずに平穏な日々が続いていることに何かしら感謝をする姿勢もいいんじゃね?ってことなのだよ。
その感謝も対象がいないといまいち実感がわかないから、この場合じいちゃんやばあちゃんなどの先祖を思うことが、より感謝の気持ちが具体性を帯びていいですよーってことなの。
まあ、そういうことだよ。ハマクラシー君。
僕の家は代々カトリックだ。
そして、まあ比較的オイラは教会にまじめに行っている。
でもまじめに教会に行くのは信仰心からじゃない。教会に行くことをおろそかにしていると、カトリックを大切にしていたおじいちゃんやおばあちゃんがあっちで怒りそうだからこわいのだよ。
怖いというのもあるし、まあ、じいちゃんやばあちゃん、そして親たちが大切にしていたものだから、じゃあ、僕たちもそれを守っていこうかっていうくらいの動機付けだよ。
まあこんな感じでいいんじゃないのかなぁ。
さて、12月もいろいろやることがあるからな。
ひとつひとつ解決していこうかね。
ハマクラシー君も頑張ってくれたまえ。
では今日はこの辺で。
おやすみなさい。