おはよう。ハマクラシー君。
こちらは夜に雨も降ってだいぶ桜も散ってきているな。
ところでニュースを見たかい?
なんでも紙幣が新しいデザインになるようだな。
肖像も3人とも変わるらしいぞ。
3人ともオイラ知らない人だったな~。
勉強にと思ってちょっとこの3人のことを調べたのだよ。
オイラの手元にある歴史人物の本は『超ビジュアル!日本の歴史人物大事典』と『学習人名辞典』の2冊だ。
今回はこの2冊で調べてみたよ。
オイラが知らないだけで、ちゃんと載っているんだな。
ではいってみよ~!
目次
はじめに1万円札の「渋沢栄一」からだ。
渋沢栄一(一万円札)
1840年~1931年 明治・大正時代の実業家。埼玉県の生まれ。
①徳川慶喜につかえ、1867年慶喜の弟・昭武(あきたけ)とともにヨーロッパに渡って資本主義経済の仕組みを見て回り、翌年帰国すると日本最初の商事会社をつくりました。
②のち大蔵省につとめて、経済制度を整えるために働きましたがまもなくやめて、実業界へはいりました。そして、第一国立銀行・王子製紙・大阪紡績・国有鉄道・日本郵船などの多くの会社をつくり、明治時代の実業界を指導しました。
③日本の資本主義を育てるために努力し、晩年は社会事業にも尽くしました。
他にも現在の東京ガスや帝国ホテル・京阪電鉄・東急電鉄・東京証券取引所・キリンビール・サッポロビールなどの500にも及ぶ会社の設立に関わり「日本資本主義の父」と呼ばれました。
また、日本赤十字社をつくるなど、約600もの教育機関や社会活動を応援しました。
津田梅子(5千円札)
1864年~1929年 明治・大正時代の教育家。女子教育のために尽くした人。江戸(東京)の生まれ。
①7歳(8歳?)の時、岩倉使節団にしたがって、日本最初の留学生としてアメリカにわたり、11年間語学とキリスト教を学んで帰国しました。
②それからは、華族女学校などで英語教育に当たり1900年には女子英語塾を作って塾長になりました。現在の津田塾大学です。
③彼女はアメリカで学んだキリスト教と自由主義の精神をもとにして新しい女子教育のために大きな働きをしました。
北里柴三郎(千円札)
1852年~1931年 明治・大正時代の細菌学者。熊本県の生まれ。東京医学校(のちの東京大学医学部)を卒業。
①ドイツに留学してコッホのもとで細菌学と免疫学を学びました。破傷風菌の研究を行って、その血清療法を発見し、世界中に名が知られました。
②外国からのまねきを断って帰国した彼は伝染病研究所を作り、研究をつづけました。
香港に渡ってペスト菌を発見したのも彼です。
③のち、伝染病研究所は国立になりましたが、政府の役人によって取り仕切られることに反対して、1914年、自分の力で北里研究所をつくりました。そしてジフテリアの血清療法の発見や結核の研究を行い、日本の医学発展にたいへん尽くしました。
なるほど~。
おいら、まだまだ勉強不足だな~。こんな立派な人たちを今まで知らなかったとは。
でも、まあいい機会になったよ。
新しい紙幣のデザインを楽しみに待っておくとしよう。
おっと、いつか話したお札チョコも新しくなるのかな?アンテナを張っておかなければな。
さて、今日も一日頑張るとするかね。
ではまたな。ハマクラシー君。